

天皇・皇室・皇位継承問題など
高森明勅 公式ブログ
今 昔 モノ 語り
天皇・皇室・皇位継承問題、から政治、日々の出来事まで定期的に更新してまいります。




高森明勅
- 2019年4月28日
- 1 分
高森家「平成最後」のグッドニュース
私の子供は3人(プラス長女の旦那)。
長男だけが昭和生まれ。
その長男が平成最後の「昭和の日」に結婚にゴールイン!
我が家にとって「平成最後」の特大グッドニュースだ。
本当に嬉しい。
これで私にはシンガポール人の息子に加えて、
上品でおしとやかな娘が出来る事になった。
長女や次男にとっては姉に当たる。
妻いわく、「本当に素晴らしい方がよく〇〇(長男の名前)
なんかのお嫁さんになってくれたものだわ。
もったいなくて気の毒なくらい。
でも考えてみたら私も同じね」と。
あらら。
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高森明勅
- 2019年4月28日
- 2 分
重大事件
御代替(みよが)わりを控える4月27日、
秋篠宮家の悠仁親王殿下が通われるお茶の水女子大学付属中学校の
悠仁殿下の机の上に金属棒に固定された刃物が見つかるという事件があった。
殿下のご恐怖はいかばかりか。
これは単なるイタズラでは済まない重大事件。
一体、警備態勢はどうなっていたのか。
改めて言う迄もなく、今の皇室典範のルールでは、
皇太子殿下と秋篠宮殿下の次の世代で唯一(!)、
皇位の継承資格を持たれる皇族だ。
畏れ多い話ながら、その悠仁殿下に万一の事があれば、
そのまま皇室の存続に関わる。
まさに国家の一大事。
殿下のご安全に対する警備関係者の認識が甘過ぎたのではないか。
大失態と言わねばならない。
速やかに犯人を逮捕しなければ、更に事件をエスカレートさせる
可能性もある。
今後、当然、警備の格段の強化が図られるべきだ。
その上で、皇位の継承資格者が異常に少ない現状の“危うさ”を、
改めて自覚する必要がある。
こうした現状では、たった一件のテロだけで致命的な事態を招きかねない。
つまりテロの“効果”が殆ど無限大に大きくなる。
このような状
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高森明勅
- 2019年4月27日
- 2 分
メディアからのアプローチなど
今上陛下のご譲位と皇太子殿下のご即位がいよいよ間近に迫った。
このところ、いくつか国内外のメディアからのアプローチがある。
既に対応を済ませたのは以下の通り。
朝日新聞の取材。
4月23日付の「平成と天皇」第9部にコメントが掲載された。
以前に紹介した「女性セブン」とは別に、「週刊文春」「週刊新潮」
「週刊現代」「アサヒ芸能」の取材。
それぞれ先週(21日~27日)発売号にコメントを掲載。 テレビ東京「ゆうがたサテライト」収録(放送は29日)。
CGTN(チャイナ・グローバル・テレビジョン・ネットワーク)と
SRF(スイス国営ラジオ局)、ロシアのテレビ番組“Segodnya”
(独立チャンネルNTV)のインタビュー収録。
言論サイト「iRONNA」から原稿依頼(5月1日に公開予定)。
東京新聞へのコメント執筆(同じく5月1日掲載予定)。
新刊の著書は『上皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉文庫)と
『天皇と国民をつなぐ大嘗祭』(展転社)責了(前者は5月中旬、後者は
同月下旬発売予定)。
テレビ朝日「朝まで生テレビ」(4月26日)に出演
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高森明勅
- 2019年4月26日
- 2 分
小堀桂一郎氏の嘆き
東京大学名誉教授、小堀桂一郎先生。 言うまでもなく保守論壇の重鎮でいらっしゃる。 私自身も親しくご教導賜って来た。 その小堀先生が以下のようなお嘆きを 表明しておられる(産経新聞4月26日付)。 先ず、旧宮家系男子の皇籍取得について。 「安倍首相は3月20日、参議院の財政金融委員会で 国民民主党の大塚耕平議員から皇位の安定的継承に 関わる質問を受けた。 …偶々(たまたま)この20日は 東久爾(ひがしくに)家の御当主信彦氏が死去された当日だった。 …安倍首相の答弁は、〈これはもう70年前の出来事であり〉、 首相自身は〈そのGHQの決定を覆すということは考えていない〉
といふものであつた。 これでは首相が政権の座に就いて以来一貫して 唱えてゐた所の戦後占領体制の克服といふ抱負を、 平成時代終焉(しゅうえん)の直前に至つて取り 下げてしまつたに等しい。 首相の支持層の間に拡がつた幻滅と失望の情は 甚(はなは)だしいものだつた。 簡単に結論を言へば、皇族といふ氏族の再建は、 平成時代に少なくともその基礎工事に着手する事が 法的に可能だつた。 安倍首相なら
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高森明勅
- 2019年4月25日
- 1 分
「ゴミ置き場清掃当番表」の改元?
我が家の郵便ポストに1枚の紙切れ。 見ると、「令和元年 ゴミ置き場清掃当番表」。 地元の自治会から以前、「平成31年―」が配られていた。 今年5月1日から来年4月末迄の、 1週間ごとの各世帯の清掃当番期間を一覧表にしたもの。 5月1日の改元を控え、わざわざ元号だけを改めて、 もう一度配り直したようだ。 元号の浸透ぶりを 改めて実感させる出来事だった。
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高森明勅
- 2019年4月24日
- 2 分
皇太子と皇嗣
5月1日に皇太子殿下が即位されると、同じ瞬間に秋篠宮殿下が「皇嗣」となられる。 皇太子というお立場と皇嗣はどう違うか。 皇太子は次の天皇になられるべき方。 その地位は揺るぎないし、揺るがしてはならない。 ところが、皇嗣はやや違う。 たまたま、その時点で皇位継承順位が第1位であるに過ぎない。 例えば、昭和天皇の弟宮だった秩父宮の場合。 昭和天皇が即位されて、内親王が続けてお生まれになった。 天皇に男子がお生まれになるまでの間、皇位継承順位の第1位は秩父宮だった。 つまりその間、秩父宮は「皇嗣(儲嗣)」であられた。 しかし、今上陛下がお生まれになった瞬間、皇嗣の立場を離れられた。
言うまでもなく、今上陛下がご誕生の瞬間に「皇太子」となられたからだ。 皇嗣という立場の相対性、不安定さがよく分かるだろう。 従って、普通、「立太子礼」はあり得ても、巡り合わせでその立場になったのを“こと改めて”公示する、「立皇嗣礼」などという儀礼は考えられない。 今の制度のままでも、理論的な仮定として新しい天皇にもし男子がお生まれになったら、 その瞬間に秋篠宮殿下は皇嗣で
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高森明勅
- 2019年4月23日
- 2 分
皇后陛下と「巨人の星」
漫画家ちばてつや氏が宮中のお茶会に 招かれた時の様子を次のように語っている。 「いまから5年前、私は文化功労者に選ばれ、 皇居でのお茶会に招いていただきました。 他の出席者の方とテーブルに座っていると、 陛下とお2人でいらっしゃった皇后さまが 隣におすわりになって、おもむろに、 『思い~こんだ~ら試練の道を~♪』 なんと、私の耳元で囁(ささや)くように『巨人の星』の
テーマソングを口ずさんでくださったのです。 私が描いた『あしたのジョー』と、 川崎のぼるさんの『巨人の星』はどちらも 梶原一騎さんの原作ですから、 その場を盛り上げようとしてくださったんでしょう。 突然のことにビックリしましたが、 すぐにテーブルに座っていたみんなが笑顔になりましたよ。 私がすっかり感動していると、皇后さまが続けて、 『ウチの皇太子は子どものとき、『少年マガジン』を読んでいましたし、 テレビアニメのテーマソングも大好きだったのですよ』 …ただ、『巨人の星』は私の作品ではありません。 隣にいらした陛下が気が付かれたのか、 そーっと『それは「巨人の星」の歌だよ』と。 する
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高森明勅
- 2019年4月22日
- 3 分
旧皇族の素顔
旧皇族というと、一般には竹田父子あたりを思い浮かべる 人が多いかも知れない。 しかし、実は2人とも旧皇族(=かつて皇族だった方)ではない。 占領下に傍系の11宮家が皇籍を離れた“後”に、 国民として竹田家に生まれたのが、 近くJOC会長のポストを離れようとしている竹田恒和氏。 従って1分、1秒もかつて皇族だった事実はない。 その子息は当たり前ながら、国民の子だ。 そうではなくて、例えば故・東久爾(ひがしくに)信彦氏などは、 紛れもなく旧皇族。 しかも、昭和天皇の第1皇女、成子(しげこ)内親王が 東久爾盛厚(もりひろ)王に嫁がれて、お生みになったのが信彦氏。 だから、昭和天皇の女系の孫に当たる。 更に、父方の祖母は明治天皇の第9皇女、聡子(としこ)内親王なので、 女系では明治天皇とも繋がる。 旧皇族と言われる人たちの中でも、今の直系の血筋に最も近かったお1人だろう。 去る3月20日に74歳で亡くなられた。 以下、お人柄を偲ぶ記事から(『週刊新潮』4月4日号)。 「『23歳で両親を失いました。 長兄として一家を束ねていこうとする姿は、けなげでした』
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高森明勅
- 2019年4月21日
- 3 分
秋篠宮殿下ご即位辞退?
朝日新聞が以下のような報道(4月21日付)。 「『兄が80歳のとき、私は70代半ば。それからはできないです』
一昨年6月、天皇陛下の退位を実現する特例法が成立した後、 秋篠宮さまが皇位継承についてこう語るのを聞いた。 当事者として、高齢で即位する難しさを指摘した形だ。 代替わり後、秋篠宮さまは皇位継承順位1位の『皇嗣(こうし)』となる。 『天皇になることを強く意識している』という皇室研究者の見方が報じられると、 『そんなこと思ったことがない』と打ち消す発言もあったという」 この報道に驚いた人がいるかも知れない。 だが、当然予想できた事だ。 記事中の秋篠宮殿下のご発言にもあるように、先ずご年齢が近い。 皇太子殿下が今上陛下と同じ85歳まで在位された場合、
79又は80歳でご即位という話になる。 常識的に判断して、それはあり得ないと考えるのが普通だろう。 だからと言って、新天皇がまだまだご活躍できる年齢で、
早めに秋篠宮殿下に譲位されるというのも、
今回のご譲位の趣旨から外れてしまう。 次に、そもそも秋篠宮殿下は、「皇太弟」又はそれに類した称号を、
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高森明勅
- 2019年4月20日
- 1 分
昭和天皇から今上陛下へ
児童文学作家の高木敏子氏。
今上陛下の「慰霊の旅」を巡って、以下のように述べておられる。
「中学生だった秋篠宮さまが、両親と妹を亡くした戦争体験を綴(つづ)った『ガラスのうさぎ』(昭和52年刊)を読んでくださり、両陛下に勧めてくださったそうです。
それがきっかけとなり、東宮(とうぐう)御所や皇居にお招きいただくようになりました。
…陛下からは国外を巡る『慰霊の旅』への強い思いも伺いました。
私が『ご高齢ですから、控えられた方がいいのではないですか?』と申し上げると、『そういうわけにはいかない』と。
実は、お父上である昭和天皇から『自分が行けなかった海外の戦地を巡って欲しい』
と言われたことがあるそうです。
いわば“遺言(ゆいごん)”のようなもので、だからこそ、陛下はあれだけご熱心に巡られた
のだと思います」と。
勿論、陛下ご自身に深い“慰霊”のお気持ちがなければ、様々な困難を乗り越えて行われて来た「慰霊の旅」はあり得なかった。
しかし、その背後に昭和天皇からのご附託があったのは(ある程度、拝察は出来ても)、
確かな証言は少なかったのではない
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高森明勅
- 2019年4月19日
- 1 分
「北方領土」間違ったシグナル
ロシア研究の専門家で新潟県立大学教授の袴田茂樹氏が、
北方領土問題について以下のように指摘されている。
「(20)16年5月、安倍首相はこれまで領土交渉は
1センチも進まなかったとして、従来の発想にとらわれない
『新アプローチ』を提案し8項目の協力提案をした。
私が最も懸念したのは、露側に間違ったシグナルを
送ったことだ。
つまり、露は、対日姿勢を強硬化したので
日本は譲歩したと受け取った。
論理的に考えて、日本をさらに譲歩させるには、
さらに対日姿勢を強硬化すればよい、となる。
現実は、その通りに動いている」
「2つの提言をしたい。
第1に、領土交渉と経済交渉と均衡を取りながら進める
『拡大均衡』の原点に戻ることだ。
第2に、交渉事は焦る方が弱者になる。
決して焦らないことである」
まさに正論だ。
4月5日には、ロシア外務省のザハロワ報道官が
来年4月から使用される我が国の教科書に北方領土が
「日本固有の領土」と記述される事まで非難している
事が報じられた。
ロシア側をここまで付け上がらせた責任は誰にあるのか。
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高森明勅
- 2019年4月18日
- 2 分
伊勢神宮と天皇
拙著『私たちが知らなかった天皇と皇室』(SBビジュアル新書』)
に次のような一節がある。
「歴史上の天皇と神宮との具体的なつながりを点検すると、
天武(てんむ)天皇(40代)から今上(きんじょう)陛下(125代)
に至るまで、1000年以上の期間で『たてまつりもの』『奉告』
『お祈り』などが史料のうえで確認できなかった天皇は、
仲恭(ちゅうきょう)天皇(85代)と長慶(ちょうけい)天皇(98代)
だけだ。これは驚くべき事実ではないか」と。 言う迄もなく、仲恭天皇は前近代には
「九条廃帝(くじょうはいてい)」と呼ばれていて、
明治3年に初めて歴代に加えられた(ご在位期間は僅か3ヵ月足らず)。 南北朝時代の長慶天皇も、大正時代に新しく即位の事実が確認され、
同15年に歴代に追加されている。天武天皇以降、それ以外の天皇は全て、
伊勢の神宮との深い繋がりが史料で確認できる。
これは、神宮が皇室にとっていかに重大なご存在であるかを、
如実に示す事実だろう。 しかし、先の引用部分を読んで、
「高森がこの短い一節を断定的に書く為には、
どれだけ膨大な史料
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高森明勅
- 2019年4月17日
- 1 分
常に国民のために
順天堂医院院長、天野篤氏。 天皇陛下の心臓の冠動脈バイパス手術に当たられた。 陛下の印象を次のように語られている。 「外科医としてこれまで大勢の方々を診(み)てきました。 その中には高名な方もいれば、偉い政治家の方もいます。 ただ、陛下ほど 『自分なんかが話していいのだろうか』 と思った方はいません。 オーラという表現ともちょっと違う。 自己の利益を考えず、常に国民のために 尽くそうとなさってきたことが自然と外面に現れている。 それが他の方にはない特別な存在感となっているのでしょう」と。 更に、ご手術の際の皇太子殿下の ご様子についても。 「手術の際には、美智子様だけでなく、 皇太子殿下からも熱心にご質問がありました。 殿下は周囲から手術の内容について話を聞いてきただけではなく、 ご自身でも勉強してこられたという印象を受けました。 当時、皇太子殿下は国事行為の臨時代行をお務めでした。 そのご公務に、強い責任感を持って 臨んでおられることが伝わってきました」と。 貴重な証言だ。
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高森明勅
- 2019年4月16日
- 1 分
令和元年の皇居勤労奉仕
5月1日から元号は「令和」に改まる。 その令和元年に皇居勤労奉仕をさせて戴けそうだ。 昨年、高森稽古照今塾の私の教え子たちが中心に
なって勤労奉仕団を結成。 私も勤労奉仕に参加できた。 奉仕を終えた直後、
「来年もやりたいな」と思わず呟いていた。 それを覚えていてくれたのか、 今年も新たに奉仕団を結成するという。 団員は若い社会人ばかり。 だから、4日間フルで奉仕できる15名以上のメンバーを集め、
その名簿を宮内庁に半年前に提出するのは、大変だ。 去年の奉仕で副団長を務めてくれたチャーミングな女性(Kさん)が、
今年は団長として呼び掛けてくれたようだ。 既に20名程、参加者が集まっているらしい。 新しい天皇陛下のもとで初めての勤労奉仕。 時期は即位礼の少し前になりそうだ。 これは楽しみ。
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高森明勅
- 2019年4月15日
- 1 分
「立太子礼」を祝われた御歌
平成3年2月23日。 皇太子殿下は満31歳のお誕生日に、 皇太子である事を公(おおやけ)に告げられる
「立太子(りったいし)の礼」を挙げられた。 この時に、皇后陛下はお祝いの御歌(みうた) を詠(よ)んでおられる。 赤玉(あかだま)は 緒(お)さへ光りて 日嗣(ひつぎ)なる 皇子(みこ)とし立たす 春をことほぐ 「赤玉は緒さへ光りて…」とあれば、 日本の古典に興味を持つ者なら、 古事記に出てくる次の歌謡を思い浮かべるだろう (日本書紀では少し語句が異なる)。 赤玉は 緒さへ光れど 白玉(しらたま)の 君が装(よそい)し 貴(とうと)くありけり 神話に出てくる海の神の娘、 豊玉毘売(とよたまびめ)が天照大神の曾孫に 当たるホホデミの命(みこと)を讚美した歌だ。 我が子の立太子礼に際し、ごく普通に、古事記の 中の相応しい歌謡から、「本歌取(ほんかど)り」 の形で格調高く“祝歌(いわいうた)”をお詠みになられた。 誰にでも出来る事ではあるまい。 詞書(ことばが)きには「立太子礼奉祝」とあった。 “お祝い申し上げる”という、
ご自分は下位に立った表現だ。
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高森明勅
- 2019年4月14日
- 2 分
あづかれる宝
私の書斎の一角に皇室関係の本棚が並んでいる。
それらの本棚の1つに、天皇・皇后両陛下のこれまでの
「おことば」や御製・御歌などを収めた本ばかりの棚がある。
その棚に御歌集『ともしび』も。
宮内庁東宮(とうぐう)職の編集。
昭和61年12月23日(!)に刊行された。
当時は皇太子・同妃であられた両陛下の御歌集だ。
天皇陛下の御製(ぎょせい)166首(うち6首は琉歌)、
皇后陛下の御歌(みうた)140首を収める。
「ともしび」という題名は、昭和32年の歌会始の御題
「ともしび」によって詠(よ)まれた、次の御製にちなむ。
ともしびの
静かにもゆる
神嘉殿(しんかでん)
琴はじきうたふ
声ひくく響く
静寂かつ幽遠。
神秘な時間の雰囲気が伝わる。
改めて申すまでもなく、皇室祭祀の中でも
特に大切な新嘗祭(にいなめさい)を詠まれた御作。
表紙の色は「皇太子」の御装束の黄丹(おうに)色。
オウダンとも読んで、紅(くれない)を帯びた
梔子(くちなし)色だ。
「ともしび」の色も想起させる。
この御歌集に、皇太子殿下がお生まれになった
昭和35年の皇后陛下の
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高森明勅
- 2019年4月13日
- 1 分
ご手術直後の「ありがとう」
天皇陛下の前立腺癌のご手術に当たった 東京大学医学部名誉教授、北村唯一氏。 ご手術直後の陛下のご様子について、 以下のような証言をしている。 「手術直後、病室に移動するための ストレッチャーに乗せられた陛下に『無事終わりました』と伝えると、
一言『ありがとう』とおっしゃいました。 普通、手術直後は朦朧(もうろう)とした状態が続いていますから、 手術室でお礼を言われた経験はあまりありません。 印象的な出来事でした」と。 陛下はこんな場面でも、 やはり「天皇」であられた。 これは生半可な“修行”などで 出来る事ではあるまい。 まさにご幼少期以来、長年に亘り 「天皇」たるべく周囲もご養育に当たり、 何よりご本人が努めて来られたからこそ、だろう。 普段なら誰でも、それなりに立派に振る舞う事ができる。 だが非常の際には、隠しようもなく、 その人の本当の価値が露出するものだ。
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高森明勅
- 2019年4月12日
- 1 分
涙が出るほど有難い
以前にも紹介している。 だが、天皇陛下のご譲位と皇太子殿下の ご即位を間近に控え、改めて掲げておきたい。 今上(きんじょう)陛下がご即位されて間もない頃に、 皇室への深い敬愛の念を持って認(したた)められた 文章の一節だ。 「新帝は先帝陛下の御心(みこころ)を よく理解なさつてゐるやうに思はれる。 一部の者には新帝に不満をもつ者もをるやうだが、 それならもし新帝が無限の責任を負ふやうな立場に つくのは嫌だとおほせられたらどうするのか。 新帝は学習院に育ち、自由といふものについても、 人生の楽しみがどのやうなものかも知つていらつしやる。 それなのに自分のたつた一度の生涯を犠牲にして、 最も不自由な地位である皇位に就いて下さつた。 自分は公(おおやけ)の為に生まれたのだといふ ことをお認めいただけたのだ。 それだけでもう涙が出るほど有難いことではないか。 爾余(じよ)は問ふに足りない事である」 (葦津珍彦氏、平成元年) ― その後の、陛下の全身全霊を傾けられてのご献身は、 私どもの十分に存じ上げている事実だ。 まさに「涙が出るほど有難い」ご献身。 し
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高森明勅
- 2019年4月11日
- 4 分
近況あれこれ
近況の一部を。 3月7日、新しい歴史教科書をつくる会の機関誌 「史(ふみ)」の企画で、ヨーロッパ国際政治史が ご専門の関東学院大学教授、君塚直隆氏と対談。 9日、国史学会の例会に出席。 同日、高森稽古照今塾(若い社会人の勉強会)。 10日、関西ゴー宣道場。ゲストは石破茂衆院議員。 丁寧実直な語り口だった。 11日、言論サイト「iRONNA」に拙稿 「『天皇はかくあるべし』上から目線の 知識人が錯覚した陛下のお気持ち」公開。 13日、福島県宗教団体連絡協議会で講演。 14日、永田町へ。 18日、拙著『天皇陛下からわたしたちへのおことば』の文庫化決定。 19日、立憲民主党全議員勉強会で講演。 皇位の安定的継承に向けて。 20日、ネット番組「徒然草気まま読み」収録。 25日、「女性セブン」「週刊現代」の取材を受ける。 28日、立憲民主党の議員勉強会に参加。 講師は元最高裁判事で『皇室法概論』の著者、園部逸夫氏。 29日、「FLASH」の取材を受ける。 31日、テレビ朝日の取材を受ける。 同日、ゴー宣道場の打ち合わせ。 4月1日、大阪の読売テレビで「特盛
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高森明勅
- 2019年4月10日
- 2 分
天皇陛下とイルカさん
シンガーソングライターのイルカさん。 これまでに2度、天皇陛下とお話する機会をお持ちだ。 1度目は皇太子時代にチャリティーコンサートに
御臨席賜(たまわ)った時。 2度目は平成26年「秋の園遊会」にて。 その時の事をご本人が記されている。 ここでは後者のみ引用しよう。 「私はIUCN自然保護連合の親善大使を 務めておりますが『生物多様性』を広める為に 歌のみならず、近年は着物のデザインと手描きをしています。 この年は丁度『秋の里山』を描いたので この自作の着物で伺いました。 天皇陛下から『イルカという名は何故に?』と ご質問を受け、この時も周囲の皆様からドッと 笑いが起こり私は緊張感から解放されました。 その時私は思い切って 『陛下!狸(たぬき)の食性についての 御研究は如何(いかが)ですか?』 とお尋ねした所、微笑(ほほえ)まれて 『そうですね…最近はあまり熱心に していませんが続けますよ』 と仰(おっしゃ)いました。 実はこの時私は自作の着物の後ろに 狸を描いていたので、どうしてもお伝えしたく思いました。 しかし背を向けると失礼と思いましたの
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高森明勅
- 2019年4月9日
- 2 分
美濃部達吉博士の「象徴天皇」論
憲法学者の美濃部達吉博士は、 戦前の特殊な「空気の支配」のもと、 天皇機関説事件で貴族院議員の辞職に追い込まれ、 更に右翼の暴漢に銃撃されて重傷を負った。 戦後には『日本国憲法原論』
(昭和24年、同27年に補訂版)を刊行されている。 その中で、憲法の「象徴」規定を巡り
以下のように述べておられた。 「『象徴』とは他の語で言へば『形態的の表現』 とも謂(い)ひ得べく、天皇の御一身が国家の現れ であり、国民の全体が一体として結合して居る姿で あるといふ趣意を示すものである。 国家は勿論(もちろん)思想上の無形の存在であり、 国民の統合と言つても唯(ただ)思想上に全体を 統合せられたものとして思考するといふに止まる のであるが、斯(か)かる思想上の無形の存在を 形態的に表現したものは即(すなわ)ち天皇の 御一身で、国民は天皇を国家の姿として国民統合の 現れとして仰ぎ見るべきことが要求せらるるのである。 それは単に倫理的感情的の要求たるに止(とど) まるものではなく、憲法の正文で定められて居る のであるから、必然に法律的観念たるもので、 即ち国民は法律
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高森明勅
- 2019年4月8日
- 1 分
今上陛下を「平成…」とお呼びするな!
最近、刊行物でしばしば「平成天皇」という呼び方を見かけて、驚く。これは即刻止めるべきだ。一世一元制のもと、元号はその時代の天皇が崩御(ほうぎょ)された後(!)に、
追号(ついごう)となる。明治天皇、大正天皇、昭和天皇、全てそうだ。 分かりやすく言えば、“元号”プラス“天皇”という呼び方は、一般の「戒名(かいみょう)」に近い。だから、ご存命中にそうした呼び方をするのは、非礼の極み。ご譲位後も「上皇」陛下であって、「平成…」とは決してお呼びしない。改元後に、新しい天皇を「令和…」とお呼びしないのも、当然。くれぐれも注意すべきだ。
先日、某番組に出演する時、事前に送って来た台本のナレーション部分にも、「平成…」という言葉が出ていた。なので早速、訂正すべき理由を伝えておいた。
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