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高市首相の所信表明演説と旧宮家案ディストピア的「合憲」論

  • 執筆者の写真: 高森明勅
    高森明勅
  • 8 分前
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高市首相の所信表明演説と旧宮家案ディストピア的「合憲」論

所信表明演説の背後にある「旧宮家養子縁組案」の連立合意


高市早苗首相は去る10月24日の所信表明演説で以下のように述べた。

「安定的な皇位継承等の在り方に関する各党各会派の議論が深まり、皇室典範の改正につながることを期待します」


この背後にあるのは、自民党と日本維新の会が連立政権の発足に当たって合意した、以下の事項だろう。

「古来例外なく男系継承が維持されてきたことの重みを踏まえ、現状の継承順位を変更しないことを前提とし、安定的な皇位継承のため、皇室の歴史に整合的かつ現実的である『皇族には認められていない養子縁組を可能とし、皇統に属する男系の男子を皇族とする案』を第一優先として8年通常国会で改正を目指す」ほとんど文節ごとに批判点があるような文章ながら、ここでは、旧宮家養子縁組案が抱える取り分け深刻な問題点の1つである、「門地差別」に該当して憲法(14条)違反の疑いを払拭できないという点に限定して、新しい素材も付け加えて述べる。



旧宮家養子縁組案は「門地差別」


これは元々、有識者会議のヒアリングにおいて憲法学者で東京大学大学院教授の宍戸常寿氏が、

同案の問題点を複数指摘された(令和3年5月10日)中で、私が最も本質的な論点と受け止め、

そのことを様々な場で発信してきた(拙著『「女性天皇」の成立』令和3年9月など)という経緯がある。


国会質問や、衆参正副議長の呼び掛けにより全政党会派が一堂に会した全体会議でもこのことが

追及された他、メディアなどでも繰り返し取り上げられ、その認識がある程度は共有されているだろう。これに対して、直接の説明責任を負う内閣法制局は説得力のある答弁ができていない(令和5年11月15日、17日の衆院内閣委員会)。


憲法学者からも納得できる反論がなされないままだった(百地章氏の反論への批判は既に述べているので繰り返さない)。



養子縁組「合憲論」の提起


ところが先頃、1つの学術的な成果として旧宮家養子縁組「合憲」論が提出されている。

国士舘大学准教授の成瀬トーマス誠氏の①「いわゆる『養子案』の合憲性について」(『憲法研究』57号、令和7年6月)及び②「日本国憲法·現行皇室典範における『男系継承』『歴史·伝統』をめぐる議論·解釈」(笠原英彦氏·小川原正道氏編著『天皇と皇室の近現代史』同年9月、所収)がそれだ。


ちなみに同氏は、女系継承の可能性については③「男系継承と歴史·伝統、国民意識」(『国士舘法学』55号、令和4年12月)の中で、次のように肯定的に述べておられる。


「伝統的なあり方は多義的であり、その内容を選択するのは国民意識である。憲法2条の『血統(女系も含む皇統ー高森)による世襲』こそを尊重すべき歴史·伝統と捉え、そこに正統性を国民が見出すのであれば、歴史·伝統によって正統化された天皇制となるのではないか」


なお細かい点ながら、①②③で基礎資料の1つ「皇室典範案に関する想定問答」(昭和21年)の執筆者を「内閣法制局」とするが、正しくは「法制局」だ(内閣法制局は昭和37年以降の呼称)。



合憲論の骨子と危険性


ここで①②論文の主張の要点を整理すれば、およそ以下の3点にまとめられるだろう。


〈1〉旧宮家養子縁組案は一先ず憲法14条2項が絶対的に禁止する貴族制に当たると考えられる。


〈2〉しかし憲法2条が世襲を担い得る(生物学的な意味での)皇統に属する者という「身分制」を創設しており、それは14条の例外領域となる。


〈3〉その広範な例外領域から具体的な皇位継承資格者をどう絞り込むかは、憲法によって皇室典範に委ねられているので、皇室典範を改正して旧宮家系子孫に限定した養子縁組を制度化することも憲法違反にはならず、もっぱら立法裁量の問題に属する。


しかしこれは、近代憲法の理念そのものをも破壊しかねない、危ういロジックではないだろうか。もし上記のような憲法の解釈と運用が通るなら、憲法14条の「国民平等」原則に対して、

憲法2条を根拠として、果てしなく広範な例外領域が認められることになる。


その結果、門地差別の禁止は立法裁量=その時々の国会の判断で、かなり恣意的に無効化されかねない。つまり、憲法による保障がほとんど解除される虞れがある。


例外扱いはあくまで「最小限必要なもの」に限る〈1〉から〈3〉への逆転を導く“ジョーカー”は

〈2〉だが、その「身分制」論の根拠とされるのは、主に長谷部恭男氏の“世襲の天皇制=「身分制の『飛び地』」論”だ。


長谷部氏は「飛び地」の中は人権が認められず、「身分に応じた特権と義務のみがある」という

(『憲法 第8版』令和4年2月)。


しかし皇室典範(11条1項)は世襲制にとってマイナスになるにも拘わらず、内親王·女王だけでなく(皇位継承資格を持つ)王についても、本人の「意思」による皇籍離脱の可能性を認めている。これは、明らかに当事者への「人権」的配慮によるもの、としか考えられない。


皇室の方々が憲法上、たとえ国民と区別された“特別な存在”と位置付けられるとしても、その例外扱いはあくまで「世襲の象徴天皇制を維持するうえで最小限必要なもの」に限られる(佐藤幸治氏『日本国憲法論』平成23年4月)。そうであれば、例外扱いを皇室の“外の”国民にまで拡大するのは論外だろう。



「皇胤」たる国民は多く存在する


一体、国民の中に皇族の身分を持たない「生物学的な意味での皇統に属する」者=皇胤(こういん、皇室の子孫)がどれだけ存在するか。例えば、奈良時代の『古事記』に登場する201氏族のうち、175氏族は皇統に連なるとされる。


或いは平安時代の『新撰姓氏録』では、畿内(当時の首都圏)の1182氏族を収めているうちの335氏族が「皇別」つまり皇統に繋がるとされている。


更に歴代天皇の血筋を引く桓武平氏、嵯峨源氏、清和源氏、宇多源氏、村上源氏などの流れを汲む諸氏が多く存在したことは、改めて言うまでもない。太田亮氏『新編姓氏家系辞典』を見ても、皇統に繋がるとされる夥しい家系が存在することが、分かるはずだ。


勿論、それらの史実性には問題が多いものの、今の国民の中にも一般に想像されている以上に、生物学的な意味では「皇統に属する」者が多く存在することを、知る必要がある。


里見岸雄氏が、かつて我が国を「皇胤国家」と称されたのも(『天皇法の研究』昭和47年11月)、そうした事情を念頭に置かれたものだった。江戸時代に生まれたいわゆる“皇別摂家”の

男系子孫は「ある計算によると…鷹司系が32名、近衛系が9名、一条系が10名なのだそうだ」

(八幡和郎氏『新潮45』平成29年1月号)とか。


又、明治以降、昭和20年までに皇籍を離れ、又は非嫡出子で皇籍になかった方が14名いたので、その子孫は同じく皇胤ということになる。



ディストピア小説的フィクション


そのように広範に存在する“国民の中の”皇胤を全て 、一般国民とは“別の身分”とし得る壮大な「身分制」を、憲法は認めていると言うのだろうか(上記〈2〉のロジックならば女系も含み得るので範囲はもっと広くなる)。その場合、憲法の「国民平等」原則はもはや殆ど空洞化されたに等しいだろう。


以上によって、旧宮家養子縁組案の合憲性を無理やり主張しようとすれば、憲法自体が創設した

“巨大な身分制”ーというディストピア(反ユートピア)小説的なフィクションを導入するしかないことが分かる。こんなロジックが成り立つならば、論理の必然的帰結として、旧宮家系に限らず皇胤たる国民であれば誰でも、別にわざわざ養子縁組を介さなくても、単に「立法裁量」に基づく法的措置だけによって、自在に皇族とすることも、決して不可能ではないはずだ。


これ又何とも恐ろしいディストピア小説的光景と言う他ないが…。


▼追記

10月28日発売の「女性自身」にコメントが掲載された。私がチェックして訂正を指示した箇所が正しく反映されておらず残念だったが、事後の訂正が可能なネット上の記事については早速、

誠実な対応を見せてくれた。


▼高森明勅公式サイト 

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