「天皇」というわが国独自の君主の称号が成立したのは私見では608年。
推古天皇の時代だ(拙著『謎とき「日本」誕生』ほか参照)。
従って、これまでも繰り返し述べて来たように、“最初の天皇”は女性だったことになる。
その後、前近代において女性天皇の即位が禁止された事実はない。これについては、私のホームページに今年(令和5年)2月23日に公開したブログ「前近代において女性天皇が『禁止された』事実は存在するのか?」で、根拠を挙げて論証している。
①第76代・近衛天皇が崩御された場面で第74代・鳥羽天皇の皇女(八条院)の即位が取り沙汰された。
②平安時代の有職故実書(『西宮記』)に「童帝御服」と共に「女帝御服」についての記載があった。
③江戸時代に第109代・明正天皇が長い期間を空けて女性天皇として即位された経緯を見ても、それまで女性天皇が「禁止」されたことを窺わせる事実はなかった。
④「女帝」を公認した『養老令』が「形式的には明治初期まで国家体制を規定する法典であり続けた」(『日本史広辞典』)事実がある。
ここで、③について少し具体的な史料を付け加えておく(高埜利彦氏「近世の女帝ふたり」『別冊文藝・天皇制』平成2年)。
第108代・後水尾天皇のご譲位を巡り朝廷から江戸幕府に伝えた文言の中に「女帝の儀くるし(苦し)かるまじき…」(『孝亮宿禰日次記』)とあった。幕府側の応答にも「むかし(昔)もめでたきためし(例)おほく(多く)候(そうろう)」(『東武実録』)と。
このやり取りによって、女性天皇が禁止されていなかったことは明らかだ。かくて、「天皇」号の成立以降、既に1400年以上の歳月が流れたが、女性天皇が即位する可能性を排除したのは明治の皇室典範が定められた明治22年(1889年)より以降、僅か130年余りの例外的な期間に過ぎないことが分かる。
一夫一婦制のもとで、皇位の安定継承を犠牲にしてまで、そのような限られた例外期の(側室無くしては維持できない)ルールを金科玉条のように扱うのは、本末転倒も甚だしい。
댓글