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万葉集巻頭歌から探る古代日本における双系(双方)制の伝統

  • 執筆者の写真: 高森明勅
    高森明勅
  • 4 時間前
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万葉集巻頭歌から探る古代日本における双系(双方)制の伝統

恭賀新年

令和8年の年頭に当たり皇室の弥栄を祈り上げる。

年の初めに万葉集の話題を。


万葉集の原型は、巻一の前半、1番歌から53番歌までの部分(原撰部、いわゆる持統万葉)

であったことが知られている(伊藤博氏『万葉集の構造と成立(上·下)』など)。


舒明天皇(34代)から持統天皇(41代)に至る時代の和歌を、“傍系”の孝徳天皇(36代)を除き、途切れなく収める。


これは当該部分が編集された当時(7世紀末頃)、同時代の持統天皇に至る皇統の直接の起点が、

持統天皇の夫だった天武天皇(40代)の父親に当たる舒明天皇と見られていた事実を示す。


これは、元明天皇(43代)の時代に完成した古事記が、推古天皇(33代)までを収める一方、系譜記事では舒明天皇を「坐岡本宮治天下之天皇」として、異例の取り上げ方をしていた事実からも裏付けられる。


古事記の編集態度から知られることは、推古天皇が(“古”事記がカバーすべき)「古」の最後の天皇とされ、そこから1世代を隔てて即位された舒明天皇こそ、「今」に繋がる最初の天皇と位置付けていたことだ。


そう考えると、万葉集の原型の段階で舒明天皇の御製とされる和歌(2番歌)より前に雄略天皇(21代)の御製とされるもの(1番歌)が、冒頭に据えられた事実は何を意味するのか。


「雄略天皇が単に古代史上の英傑としてではなく、持統皇統の《始祖》と位置づけられていることがわかります」(小川靖彦氏『万葉集ー隠されたメッセージ』角川選書)との指摘が説得力を持つだろう。


ここで興味深いのは、皇室の系譜において雄略天皇と舒明天皇が「男系」では繋がっていない事実だ。


舒明天皇の父親が押坂彦人大兄皇子で、その父親が敏達天皇(30代)、その父親が欽明天皇(29代)…とここまでは男系で辿ることができる。しかし、欽明天皇の父親はよく知られているように継体天皇(26代)で、ここから先は雄略天皇には繋がらない。


一方、欽明天皇の母親は手白香皇女であり、その母親は春日大娘皇女であり、その父親が雄略天皇…という繋がりだ。


或いは、舒明天皇の祖父の敏達天皇の母親が石姫皇女で、その母親が橘仲皇女で、その母親が春日大娘皇女で、先に見た通りその父親が雄略天皇。


いずれにせよ、「女系」を介さない限り舒明天皇は《始祖》の雄略天皇には繋がらない。

勿論、「持統万葉」が編集された時代には、記·紀の素材となった皇室の系譜は既に整っていた。


そうであれば、万葉集の巻頭に有名な「籠(こ)もよ み籠持ち…」で始まる雄略天皇の御製とされる和歌が収めてられていることも、わが国においては(シナとは異なり)男系だけでなく女系も血統としての意味を持ち得た事実を伝える、貴重な手がかりと言える。


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