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  • 執筆者の写真高森明勅

憲法9条と沖縄

護憲論者に問いたい。


沖縄を見捨てるのか、と。


憲法9条の「戦力不保持」規定と沖縄の軍事基地化は、 少なくとも同趣旨を憲法に盛り込む指示をしたマッカーサーに とっては、不可分の“セット”だった。


「日本の安全をどう守るか…マッカーサーは、 あるいは米国の軍部は、日本占領以前にある腹案をもっていた。 それは沖縄の軍事基地化である。

…1945年12月に成立した『改正衆議院議員選挙法』では、 こともあろうに、沖縄県民の選挙権は、―本土ではこの法律で

『女性参政権』が付与されたにもかかわらず―停止されたのであった。

…1946年4月の選挙は、改正された憲法(今の憲法=引用者) の是非を決める選挙であったから、沖縄県民は、この憲法の是非を 争う選挙の埒外(らちがい)に置かれたのであった。

つまり、マッカーサーにとって『戦争の放棄』 (正確には『戦力不保持』=引用者)とは、 沖縄に軍事要塞化を強い、本土にのみ適用される憲法で 『戦争の放棄』を可能にした、と見ることができる。

一方で、沖縄の基地化こそ、本土における『平和と民主主義』 の限界を示すものであった」 (古関彰一氏『平和憲法の深層』) 実際に、沖縄の駐留米軍を縮小、撤退させたいなら、 国際情勢の現実に鑑みて、自主防衛の拡充を図るしかない。

しかし、それを阻害しているのが、他ならぬ9条の「戦力不保持」規定だ。 護憲論者は沖縄にある米軍基地の固定化を訴えているに等しい。 もし憲法の「戦力不保持」を維持しながら、 米軍基地を撤去し得る可能性があるとすれば、 それは恐らくアメリカと中国との軍事的・政治的関係の中で、 アメリカが(何らかのメリットを得る見返りか、又はデメリットを避ける為に)

日本を中国の影響下に“置き換える”判断をした場合だろう。

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