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  • 執筆者の写真高森明勅

憲法9条と日本思想の逆説


憲法9条について考える時、

気になっている事がある。


私が尊敬する数少ない保守系知識人の1人、

長谷川三千子氏がずっと前に公表された見解だ。


やや長めの引用になるが。


「戦後の日本人が、あの戦争について、

非はすべて我方(わがほう)にあると考へ、

林房雄氏の(『大東亜戦争肯定論』が)説くやうな

『あたり前』のことをむしろ奇説とみるやうになつた

こと―これを7年間の占領と検閲の所為(せい)にして

しまふことはたやすいことである。

あるいは共産主義者の宣伝を責めるのもよい。

しかし…もしも『大東亜戦争』のかくも理不尽な断罪が、

われわれの『大和魂』を本当に危(あやう)くするもの

であつたとしたら…日本人はすべて聞き流したことであらう。


…(敗戦後に石原完爾が唱えた)『国民総懺悔』といふ

言葉の底にこめられてゐたのは、幕末以来この百年間、

日本が本来の日本らしからぬ振舞(ふるまい)

を余儀なくされてきたことへの反省である。

『東亜百年戦争』の本当の悲劇は、まさに『攘夷』が

『欧化主義』といふ形でしか可能でなかつたといふところにある。

ムガール帝国にせよ清帝国にせよ、

誇り高く自らの文化を固持し続けたアジアの国々は、

ことごとく西洋の『実力行使』に潰された。

われわれは『われわれらしさ』を捨てることによつて

自らの国と文化を守らざるを得ないことを知つたのである。

…その『欧化』の基(もとい)にあつて、

目に付かぬながらもつとも重要だつたのは、

この世界の内に『対立』を見るといふこと、

敵を『敵』と認じて、自らを常にそれと対峙(たいじ)

させて眺めるといふ極めて欧米流の世界観をもつことであつた。

…止むを得ないことではあつた。

しかし悔やむべきことであつた―

その認識があつてこそ石原将軍は、

新憲法成立の報を聞いて、

『今後再軍備すべしと米ソ(アメリカとソ連)

いづれかのいかなる強要があらうとも、断じて屈服するな』

と言ひ切つたのである。戦後、危機の去つたのを肌に感じた時、

〈“もうわれわれらしく”生きても大丈夫だ〉と人々は思つた。

…われわれは、もう2度と再びあの血腥(なまぐさ)い

『欧米式国際社会』には住むまい。


いかなる『力』がわれわれを圧迫し『敵』が脅かさう

とも、それを『敵』と見、『力』と見ることはすまい。


…この『和の世界観』こそ真に独自の『日本思想』であり…

この思想に基づいて戦後のわれわれは、

すべてのエネルギーを『復讐』にではなく『復興』に

そそぎ込むことができたのである」

(『からごころ』昭和61年)―


長谷川氏の議論は更に続き、

立論自体の力点はむしろそちらに置かれている、と

言って良いかも知れない。


だが、「敗戦国が戦勝国に対して、

2度と再び立ち上がつて脅威となることがないやうに―

といふことを唯一最大の柱として練り上げられた」

(長谷川氏)


憲法に、他ならぬ「大和魂」の反映を見ようとする

逆説的な視点は、今もなお古びていないだろう。

この指摘を、脊髄反射的に反発するのでも、

唯々諾々として受け入れるのでもなく、

自分自身の思考の中にどう位置付けるか。


なおブログの訂正を2ヵ所。


11月1日「大嘗祭を京都で?」

「大嘗祭の京都での“斉”行」

→「大嘗祭の京都での斎行」

同3日「明治記念館『金鶏の間』』」

「押し付けが“な”しく」

→「押し付けがましく」


わが不注意をお詫びする。

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