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  • 執筆者の写真高森明勅

憲法と国民

憲法論議に専門家の関与は不可欠。

そうでなければ、外科医の診断抜きで外科手術をやるようなもの。

まさに無謀。 そう考えて、ゴー宣道場では2月以来の 「憲法」シリーズに毎月、専門家をゲストに招いて来た。

これまでご参加戴いたのは、 憲法学プロパーの学者が3名、 関連分野である法哲学と国際紛争の専門家が1名ずつ。 これらの方々には心から感謝申し上げる。

更に、憲法問題を実際に動かすのは「政治」だ (手術で言えば執刀医か)。

道場には、政界における「立憲的改憲」の提唱者、 山尾志桜里衆院議員がこれまで毎回、登壇して下さった。 その勇気と熱意に、改めて敬意を表する。

更に5月の拡大版では、 野党第1党の党首である枝野幸男立憲民主党代表も、 特にお忙しい日程の中、わざわざ駆け付けて下さり、 中身のある討議が実現した。

あれで、立憲民主党がいわゆる「護憲」政党では“ない”事が、 改めて確認出来た。 その政治的意味は極めて大きい。

この後、山尾議員は同党の憲法論議を 実務面で取り仕切る憲法調査会事務局長に就任されたという。

これは、山尾議員の活躍の場が広がったのを喜ぶ以上に、 枝野代表および立憲民主党という政党自体が、立憲的改憲に はっきりと一歩“踏み出した”事実として、嬉しい。 だが憲法は「国民のもの」。 政治家や専門家だけの独占物では勿論ない。 外科手術を受ける患者が憲法なら、 国民はその家族。

当事者“そのもの”だ。

そもそも、憲法が国家権力を「制限」するのは何の為か。

国民の自由と権利を守る為だ。 憲法が国家権力を正統化し、授権するのは何の為か。 国民の生活を平穏かつ円滑ならしめる為だ。

つまり“国民の為に”こそ憲法がある。

手続きの上でも、憲法改正の行方は、 最終的に国民投票によって決まる。

憲法の条文にも、 「憲法改正について…承認を経たときは、 天皇は、国民の名で…直ちにこれを公布する」 (96条2項)とある。

憲法は「国民(!)の名で」公布されるのだ。

ならば憲法改正に、 肝心の国民自身が無関心でどうする。

ましてや、安倍政権は誤魔化しの 自衛隊“明記”加憲で、わが国の「自主独立」を回復し、 「平和と民主主義」を守る9条改正を、 永遠に葬り去ろうとしている。 これをそのまま黙過して良い筈がない。

ゴー宣道場はこれまで、 それに対抗すべく取り組みを続けて来た。 旧来の護憲vs改憲の対立を超えた、 「立憲的改憲」の旗を明確に掲げ、 真っ当に憲法論議が出来る専門家と政治家と共に、 国民の関心を盛り上げる努力を重ねたのだ。

その結果、今や憲法論議における“第3の選択肢”として 認められつつあるようだ。

これは、真に「権威ある憲法」へ向けた、 国民の側からの“新しい”挑戦と言えるのではないか。 6月の九州道場は、新進気鋭の「憲法学界の異端児」 井上武史先生をお迎えする。 憲法学者を招いての討議としては一区切りの回となる。 奮ってご参加を!

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