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  • 執筆者の写真高森明勅

平成改元「ご聴許」は無かった?

昭和から平成への改元。

元号法によれば、元号は政令で定める事になっている。

しかし、一般の政令と同じ扱いをしたのでは、 単なる「内閣の元号」になる。

“大化”以来の「天皇の元号」という本質が変質してしまう。

そこで元号法を制定した時に、 有志は政令を閣議決定する前に、 天皇の「ご聴許(聞き入れて許すこと)」を 戴くべき事を唱えていた(葦津珍彦氏ら)。

ところが、近く刊行された藤本頼生氏 『よくわかる皇室制度』(神社新報社)にはこんな記述がある。

「現行の憲法では天皇の関与はなく、 閣議にて決定された直後に政府から 宮内庁長官を通じて天皇陛下に報告されたと伝えられている。 そのため、元号に関する権限は現在、内閣に属しているといえよう」と。 かつて神社関係者は元号法制化の中核として努力された (元号法の制定は昭和54年)。

その際に、元号に関する法的な権限がたとえ内閣に属する形になっても、 陛下の思し召しを承って決める手順を踏めば、 元号の伝統は守られると信じて取り組んだはずだ (私自身も当時、運動の末端に僅かばかり参加させて戴いた)。 あの時の願いは虚しく裏切られたのか。

神道政治連盟『御代替(みよがわり)に関する記録』 には次のような記述がある。

新元号「平成」の決定について。

「全閣僚会議の了解があったところで、 的場順三内閣内政審議室長が官邸から 皇居に急行し参内し、あらかじめ内奏申し上げたといふ」

「元号の決定にあたっては、決して内閣の独断によらず、 天皇に内奏し、御聴許を得た上で閣議決定等の手続きを 進めるべきであるとの主張が強くなされ…今回、内政審議室長 の参内によりぎりぎりの約束が果たされたと見られる」

これらによれば、概ねご聴許は戴いたと理解できる。

ところが、同書には、以上とは矛盾する記述もある。

「天皇に内奏し、御聴許を得た上で 閣議決定すべきところ、閣議決定ののち、 内政審議室長の参内により急遽内奏」と。 これでは事後報告であって、 ご聴許は無かった事になる。 編集上の杜撰の為、 極めて重大な事柄が曖昧になっている。 まことに残念。

しかるに、私が以前にも紹介した、 当時、内閣官房副長官だった石原信雄氏の証言では、 こうなっている。


「(元号に関する懇談会で)新元号が決まると、 そのことを藤森宮内庁長官が陛下(今上陛下)に上奏し… こうした手続きを経て、臨時閣議で『平成』を正式に決定」 (『週刊ポスト』平成25年12月6日号)と。

石原氏は、昭和から平成への御代替わりの実務を取り仕切った、 事務方の最高責任者。

だから、その証言は信憑性が高い。 天皇陛下にご報告したのが、 藤森昭一長官か、的場室長か。 情報に齟齬があるようだが、的場氏が藤森氏に伝え、 それを藤森氏から陛下にご報告した (又は両者が揃ってご報告に上がった)とも、解し得る。 いずれにせよ、石原証言を覆す確かな反証が現れるまでは、 陛下のご聴許は「あった」と判断して良いのではないか。 次の元号が、国民生活への影響に配慮して、 “前倒し”で公表される、との報道が相次いでいる。

その場合、「ご聴許」はどういう形になるか。 間違っても、特定の“内閣(又は首相)の元号”に変質し、 「天皇の元号」という本質が喪われないよう、 関係者の熟慮が求められる。

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