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  • 執筆者の写真高森明勅

共産党の「屈服」


日本共産党

共産党の「屈服」

日本共産党が大きな方針転換をしている。結党以来、掲げ続けて来た「君主制の廃止」という政治目標を取り下げた。「天皇制」という用語を使うのも止めた。これは極めて大きな転換だ。


平成16年の党綱領改定による(同綱領については不破哲三氏『党綱領の力点』平成16年、同『党綱領の理論上の突破点について』同17年など参照)。


この転換は何故か? 彼らの言い分では、今の憲法下の天皇の在り方は、もはや「君主制」ではない。だから、「君主制の廃止」という課題自体が無用になった、と。「天皇制」という言葉も当てはまらなくなったので、「天皇の制度」と言い換えた(志位和夫氏『天皇の制度の日本共産党の立場』令和元年ほか)。


しかし、何とも間抜けな話ではないか。憲法が施行されて60年ほど経って、気が付いたら、いつの間にか「君主制」はとっくに「廃止」されていました、って。そんな話を誰が真に受けるだろうか。


そもそも、世界中の国々が「元首」と認め、国内でも三権より“上位”におられ(内閣総理大臣と最高裁長官を任命し、国会を召集)、その地位を「世襲」される天皇を、君主でないと言い張るのは、どう考えても無理がある(わが国は一般的な分類では立憲君主制、又は議会主義的君主制の国と理解できる)。


共産党は、もはや「天皇」という存在に白旗を掲げざるを得なくなった、と考える他ない。国民の圧倒的多数が「天皇」を受け入れている。どころか、感謝さえしている。にも拘らず、いつまでも「君主制の廃止」を唱え続ければ、国民にソッポを向かれる。野党共闘も出来なくなる。政治的に手痛いデメリットしかない。だから「君主制の廃止」という看板は下ろさざるを得ない。


だが一方、これまで「天皇制打倒!」を強く主張して来た手前、すごすごとシッポを巻く姿を支持者に見せられない。だから、上記のような見え透いた負け惜しみを言い募る結果になった。「我々が逃げ出したのではない。敵がいなくなっただけだ」と。しかし逆に、近年の「天皇」の存在感の巨大さは、戦後(名目的な)独立回復後、かつてない程だろう。


今上陛下のご即位に当たり、国会は衆参両院とも、共産党を含む全会一致で「賀詞」を議決した。共産党は以下のような考え方を表明している。「天皇の制度というのは憲法上の制度です。この制度に基づいて新しい方が天皇に即位したのですから、祝意を示すのは当然だと考えています」(志位氏)と。

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