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旧宮家養子縁組を受け入れる「養親」はどなたか?

  • 執筆者の写真: 高森明勅
    高森明勅
  • 4 分前
  • 読了時間: 4分
旧宮家養子縁組を受け入れる「養親」はどなたか?

自民·維新連立政権が皇位継承問題を巡る優先課題と位置付けようとしている旧宮家養子縁組案。


しかし、違憲の疑いが払拭されず、無理やり合憲論を主張する為には、「憲法が多くの国民も含み込んだ(皇統に属する者なら立法裁量によって国民平等の例外扱いが可能という)“巨大な身分制”を創設している」というディストピア小説的なフィクションを導入する以外にない、という袋小路にはまり込んでしまう。


又、対象になり得る賀陽家、久邇家、東久邇家、竹田家に養子縁組に同意する当事者が果たしているのか、いまだに不明という問題が残り続けている。


それとも、これについても旧宮家系子孫男子が皇統に属する以上、“巨大な身分制”による憲法の人権規定が及ばない例外扱いとして、当事者の同意を必要としない選択肢も、立法裁量として可能になるのだろうか(長谷部恭男氏によると身分制の中では「身分に即した特権と義務のみがある」という)。


これ又、戦慄すべきディストピア小説的な設定だが、さすがにリアリティがないだろう。


一方、養子を受け入れる「養親」については先頃、『文藝春秋』12月号に掲載された「彬子女王と母信子妃決裂の瞬間ー三笠宮家分裂の凄まじい内幕」という記事も見逃せない。

寛仁親王が亡くなられた後、彬子女王殿下が宮内庁関係者に「(信子妃殿下を)皇族として不適格者ということで離婚させられませんか」と迫った、という記述もある。


民間から嫁がれた妃殿下が離婚された場合は、皇族の身分を離れることが皇室典範第14条第3項に規定されている。

しかし一方、同条第1項によって夫を失った妃殿下は自らの意思で皇籍離脱が可能なので、いわゆる“死後離婚”は想定されていないと考えられる。


記事全体の一々の記述の信憑性には疑問も残るが、三笠宮家の「分裂」の深刻さが改めて浮かび上がった。


「三笠宮寛仁親王妃家」の創設によって、信子妃殿下が養親になり得る条件が整ったのではないか、という見方も一部にあるようだ。信子妃殿下が、政治の場で養子縁組案を推し進めようとしている麻生太郎·自民党副総裁の実の妹であられることからの憶測ながら、今回の記事によっても一層強く印象付けられた、同家の皇室の中での微妙な位置付けを考えると、現実的ではないだろう。


しかも、寛仁親王は男系固執で養子縁組案にも前のめりでいらっしゃったものの、妃殿下と親王との不和に近いご関係を考慮すると、必ずしも同じお考えだったとは即断できない。

むしろ、信子妃殿下は敬宮殿下への深い敬意と愛情を、明らかにされている(令和4年歌会始のお歌など)。


恐らく男系固執的な感性とは無縁であられると拝察できる。妃殿下が、自ら養親に名乗りを挙げられることは、想像しにくいのではないか。これに対して、男系固執の父親を尊敬しておられるのは、彬子女王殿下だ。


そのことから、彬子女王殿下が養親になられる可能性を予想する人も、いるようだ。

しかし、信子妃殿下と同じく分裂した三笠宮家の一方の当事者という立ち位置の微妙さを考えると、残念ながら養親たるに最適とは言い難い。


そもそも、未婚の彬子女王殿下が養子縁組をされることは、率直に申してご結婚の妨げになりかねない。又、不自然さを免れないだろう。これは、他の未婚の女王殿下方についても、同様だ。

皇室の中枢たる内廷及び既に皇位継承資格者がいらっしゃる秋篠宮家の方々は当然、養親の対象から除外される。


その上で、今の皇室全体を見渡しても、養親になり得る方がおられるとは、にわかに考えにくい。


厳格な男系固執論者は、真に養親たるに相応しいのは常陸宮殿下お一方だけ、と考えているようだ。それは何故か。


皇位継承は勿論、専ら“自然血縁(実系)”によるとはいえ、養子縁組を介して“法定血縁(養系)”によって皇籍を取得する以上、それを全く無視することはできない。常陸宮殿下以外の場合、法定血縁としては、妃殿下でも女王殿下でも「女系」になる。


それは避けたいというのが、男系派としての筋の通し方らしい。


しかし、改めて言う迄もなく常陸宮殿下は今年の11月28日のお誕生日で90歳になられる。

そのご年齢からすると、これから養子を迎えられるのは、いかにも無理がある。


旧宮家養子縁組案は、「養親」という最も手前のハードルすら、越えられない可能性が高い。


▼追記

「週刊文春」11月20日発売号にコメント掲載。


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