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  • 執筆者の写真高森明勅

リベラル?な家庭教育

私の亡父は特攻隊の生き残りだった。

前にも書いたように 「(特攻隊に志願した)17歳の自分を生涯裏切らない」 と心に決めて、まさにその通りの人生を生き抜いた。

世間的には「右翼」と見えていたかも知れない。

祝日には必ず国旗を掲げ、客間には立派な神棚が祀られている。

三島由紀夫を尊敬し、命日の11月25日には 毎年、同志を募って祭典を行って来た (父が亡くなってからは末弟が受け継いだ)。

しかし、家庭教育は至ってリベラルだった。

思想、信念は押し付けない。 むしろ、それは自分自身で掴み取るべきであると、 無言のうちに教えられた。 自分の人生は自分以外に主人公はいない。 その事だけは叩き込まれたような気がする。

世間の顔色を覗(うかが)って、 自らの主体性を見失うような真似はするな、と。 世間にいくら気を使っても、 お前に代わってお前の人生を生きてくれるヤツは、 世間には誰もいない。

世間に振り回されて、 自分のたった一度限りの人生を棒に振るなんて、愚の骨頂。 他人の目を気にして、自分が本当にやりたい事をやらない、 やりたくもない事をやるなど、馬鹿がする事。

等々。 印象に残っているのは結婚相手の選び方。

とにかく自分が本気で惚れた相手と結婚しろ。

親がどう思うかとか考えるな。 俺たち両親が死んだ後も、2人で生きていくんだ。 俺たちに気を使ってどうする。

たとえ相手が黒人でも (私が思春期の頃はまだ黒人に対する偏見が酷かった) 気にするな。 自分が惚れたら、人種も何も関係ない。

でも、結婚した以上は自分たちの責任だから、 後になって愚痴を言うんじゃない。 そんな事を言われた記憶が鮮やかだ。

後年、結婚が決まった時のアドバイスも覚えている。

「好き合って結婚する相手でも、自分とは別の “個人”だという事は忘れるな。 彼女はお前とは違う家庭に育ち、違う人生をこれまで生きて来た。 その20何年の歳月がある。 だから、様々なところで2人が違っていて当たり前なんだ。 それなのに、自分の延長線上の存在のように考えたり、 自分の持ち物か何かのように錯覚したりしてはいけない。 夫婦は長い時間をかけて足並みを揃えて行くものだし、 それでも別々の個人だという事を忘れるな」と。

頭ごなしに「日本を好きになれ」とか「天皇陛下を尊敬しろ」 などと強制された覚えは、一切ない。

義務教育を終えて以降、学校の進路も、 社会に出てからの身の振り方も、全て私の好きなようにさせてくれた。

迂闊な私は、自分が子供を持って初めて分かった。

危なげな息子に対し、不安と不満に耐えて、 よくあれだけ自由にさせてくれたものだ、と。

でも、もし思想や価値観をパッケージで 押し付けられるような事をされていたら、 私の性分から激しく反発して、取り返しのつかない 脱線をやらかしていたかも知れない。 リベラルな家庭教育のお蔭で、 逆に父の志からさほど足を踏み外さないで、 これまで生きてこられたように思う。

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