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皇室の伝統を重んじるなら旧宮家養子制度は否定されるべきだ

執筆者の写真: 高森明勅
高森明勅
10 分前
読了時間: 3分
皇室の伝統を重んじるなら旧宮家養子制度は否定されるべきだ

長い皇室の歴史を振り返っても、親の代から国民だった者が、「養子縁組」によって皇族になって、その子に皇位継承資格まで認められた前例は、まったくない。

宮内庁編纂『皇室制度史料 皇族一』(昭和57年)には以下のように記されている。

「皇族と臣家との養子関係の実例を見ると、皇族が臣家の継嗣となったときは養家の姓を称するが、逆に臣家の子女が皇族の養子ないし猶子となった場合には、それに依って皇族に列することはなかった」

ここに出てくる「臣家」は今で言えば一般国民に当たる。旧宮家系民間人はもちろん戸籍に登録された一般国民だ。一般国民が養子縁組によって「皇族に列することはなかった」のが歴史上の事実だ。

これに対して、平安時代の源明子が盛明親王の養女になって女王の身分を得た例が指摘されている。しかし、明子女王が藤原道長の側室になった顚末からも明らかように、皇位の継承とか皇統の維持にはまったく無縁なケースだ。

血縁としても明子女王は醍醐天皇の孫(2世)にあたる。過去の天皇から血縁が20世以上も離れた旧宮家系子孫とは比べられない。

また別に、もとは長九郎と呼ばれ、京都·西陣の刀鍛冶屋の徒弟だった異色の皇族、伏見宮家の第13代当主、貞致親王。この人物についても、養子縁組によって一般国民が皇族になった前例とする見方がある。

しかし、貞致親王はもともと同家第10代当主で皇族だった貞清親王の子で、生母の身分が低く「養子」として母方の安藤家などに預けられていた(『忠利宿禰記』)。それが家督相続のために呼び戻されたケースだった。だから事情がまったく異なる。

養子制度を正当化できる歴史上の前例はない。

明治の皇室典範および現行の皇室典範では、皇族同士であっても養子は血統の混乱を招きかねないため、禁止されていた。その上、いったん皇族の身分を離れた者およびその子孫は、女子が天皇または男性皇族との婚姻によって皇族の身分を得る以外は、いかなる方法でも皇族の身分を得ることはできないのが原則だ(明治典範増補第6条、現行典範第15条)。

理由は「皇位継承資格の純粋性(君臣の別)」を保つ為だ(法制局「皇室典範案に関する想定問答」昭和21年)。

国民の中には、生物学的な意味で皇室の血筋に繋がる人々は、多い。決して旧宮家系民間人だけでない。

たとえば、江戸時代の後陽成天皇や東山天皇の皇子が養子に入った近衛家、一条家、鷹司家など、いわゆる「皇別摂家」の子孫。こちらは、男系の血筋では旧宮家系よりも今の皇室との血縁がはるかに近い。その他、明治以降昭和20年までに皇籍を離れた人物の系統、よく知られている桓武平氏や清和源氏などの子孫等々、広範囲に存在する。

そもそも、旧宮家系の血縁はあまりにも遠い。その為、養子制度の対象になる世代は誰も、大正9年に制定された皇室の内規「皇族の降下に関する施行準則」を適用すれば、被占領下の臣籍降下に関わりなく、判定基準の伏見宮20代当主邦家親王から5世以上離れているので、既に親の代から国民という位置付けになる。

政府は、旧宮家が今の皇室典範のもとでわずか5ヵ月ほど皇族の身分を持っていたことだけを根拠として、旧宮家系と他の人々の線引きをしようとしている。しかし、皇籍にあった当人ならともかく、その子孫になると、もはや説得力がない。

先ごろ制定された皇室典範改正法では、養子に男子が生まれたら「実方の系統(実家の血筋)」を根拠として皇位資格を持つ。万が一その系統に皇位が移れば、賀陽家·久邇家·東久邇家·竹田家など民間人の血筋によって皇位が受け継がれることになる。それは平清盛や源頼朝、足利尊氏などの子孫に皇位が移るに等しいだろう。


■追記


①10月17日、東京新聞の望月衣塑子記者のYouTube番組に出演。

②10月22日、プレジデントオンライン「高森明勅の皇室ウォッチ」公開。

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