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秋篠宮家男子誕生希望から「愛子に天皇になってほしい」へ②

執筆者の写真: 高森明勅
高森明勅
8 分前
読了時間: 3分

秋篠宮家男子誕生希望から「愛子に天皇になってほしい」へ②
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◯「問題点は依然として残っている」

取り分け注意すべきなのは、秋篠宮家の第3子、悠仁親王殿下がお生まれになって、政界の空気が一変し、皇室典範改正が頓挫してしまったことに対する上皇陛下のご姿勢だ。

①で取り上げた櫻井よしこ氏は、悠仁殿下が先頃20歳のお誕生日を迎えられたことに対して、「上皇陛下と上皇后陛下は、おそらく誰よりも深い安堵の中におられるのではなかろうか」などと呑気な臆測を述べている。しかし、事実は全く異なる。

「(悠仁殿下ご誕生当時)政府も与野党も、さらに国民も問題は解決したと錯覚した。相反して明仁天皇(上皇陛下)は憂いを深めていた。『悠仁さまがお生まれになって、うれしいというお気持ちと、これとは別に問題は依然として残っているという認識を併行して持っておられたと思う』と宮内庁長官の羽毛田信吾氏は後年語っている」(井上亮氏『比翼の象徴 明仁·美智子伝』下巻、令和6年、岩波書店)

「悠仁親王の誕生は皇統の危機が一世代先送りされただけで、不安定な皇位継承制度の構造的問題が解決されたわけではなかった。悠仁親王誕生を喜びながらも、明仁天皇は不安を抱いていた。羽毛田は天皇の思いを察し、皇統の危機についての議論を終わらせてはならないと考えていた。ただ、『陛下は、悠仁さまが生まれたので皇統問題を議論する流れが止まったといわれることについては非常に心配されていた』とも言う」(井上氏『宮内庁長官』前出)

◯上皇陛下のお悩み

「『皇統の問題が決して解決したわけではない』。2006年(平成18年)秋、天皇陛下だった上皇さまは側近幹部にそう漏らした。9月には秋篠宮家に長男悠仁さまが誕生。次世代の皇位継承者が確保され、世間に安堵の雰囲気が広がっていた時期だ。…側近は『将来にわたって皇室が安定して維持できるのか。依然としてご懸念を持たれていた』という」(朝日新聞7月18日付)

現に、上皇陛下は心身の強いストレスが原因で平成20年12月に体調を崩された。当時の羽毛田長官は、記者会見で「陛下は皇位継承について依然として問題が残っていることにお悩みだ」と語っていた。

「深い安堵の中におられる」という櫻井氏の妄想は、上皇陛下のお気持ちとは全くかけ離れている。

◯小林よしのり氏へのアプローチ

平成25年6月12日に、当時の風岡典之宮内庁長官が(恐らく上皇陛下のご意向を受けて)「女性天皇論」を展開していた漫画家の小林よしのり氏と面会し、上皇后陛下のご著書を渡している(小林氏『愛子天皇論』令和5年、扶桑社)。その前年の平成24年春頃から、上皇陛下、天皇陛下、秋篠宮殿下の三者会談がほぼ毎月開かれていた最中の時期の出来事だ。

宮内庁長官はその会談に欠かさず陪席していた。その長官側から小林氏に連絡があり、小林氏の“背中を押す”メッセージを託した、上皇后陛下のご著書が贈呈されている。

私も直後に小林氏から連絡を戴き、風岡氏の名刺を見せられ、さらに上皇后陛下のご著書に込められたメッセージの内容も、確認した。この事実が持つ意味は重い。

◯小田尚氏へのアプローチ

又、平成30年1月9日には、読売新聞の論説主幹を務めた小田尚氏が、10年半も侍従長を務め、当時は宮内庁参与だった渡邉允氏から面会を求められた。小田氏はそこで「男系(限定)の継承を主張するのは、皇室を途絶えさせることになる。女系を認めるべきだ」との見解を伝えられている(同氏「いつまで男系男子にこだわるのか…皇統を守るには『女系天皇の可能性を排除すべきではない』」プレジデントオンライン、令和7年5月23日公開)。

これも当然、上皇陛下のご意向を受けた行動と考える他ない。(続く)


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