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天皇を巡る制度は女性により多く負担を強いて不合理との批判

  • 執筆者の写真: 高森明勅
    高森明勅
  • 9 時間前
  • 読了時間: 5分
天皇を巡る制度は女性により多く負担を強いて不合理との批判

近来、公共の言論空間で明確な反天皇論的言説を見かけることは、少なくなった。

その中で、奥泉光氏·原武史氏の共著『天皇問答』(河出新書)は数少ない例外だろう。

或いは、反天皇論の現在地を示す著作と言えるかも知れない。


しかし、この本の中で天皇を巡る制度そのものを否定する「理由」が明示的に述べられている部分は、意外なほど僅かだ。原氏の場合は以下のような発言がそれに当たる。


「私は…天皇制には反対です。どういう理由かというと、天皇制というシステムは男性よりも女性の方により多くの負担を生じさせる。ある種の性差別のシステムに他ならないからです」


「現行の皇室典範のもとで、男子を産まなければならないことです。このプレッシャーは女性だけが背負わなければならない。たとえ女性天皇や女系天皇を認めたとしても、女性が子どもを産まなければならないこと自体に変わりはありません」


しかし、これは奇妙な言い分ではあるまいか。

と言うのは、「男子を産まなければ…」というのは、皇室典範を改正すればた直ちに解決する問題であり、「女性が子どもを産まなければならない」という要請は、特に「天皇制」だけに限らないからだ。


後者が世襲の君主制一般に当てはまるのは勿論、更に、人類史そのものが続いていく為にも、事実として出産は不可欠だ。その出産は、もっぱら女性のみが可能である。


その為、君主制か共和制かという国家体制の違いなどに関わりなく、様々な社会で残念ながら

「男性よりも女性の方により多くの負担を生じさせる」というアンフェアな結果を招いて来た。


その偏った「負担」を可能な限り軽減させることは、答えの出し方は社会によって区々かも知れないが、人類全体にとって極めて普遍性の高い課題だろう。


それをあたかも「天皇制」に固有の弊害であるかのように批判するのは、的外れであり、“視野狭窄”の誹りを免れない。 なお、発言中に見える「(子供を産むことへの)プレッシャーは女性“だけ”が背負わなければならない」という決め付け方は、不妊の原因が男性である場合も決して珍しくないので、それ自体が「性差別」的と言わねばならない。


原氏は、性差別の文脈で皇室祭祀における「女性の血の穢れの問題」も取り上げる。だがこれは、天皇を巡る制度を否定するのではなく、より発展させる方向で乗り越えることが可能なテーマだろう。


一方、奥泉氏の理由付けは、「天皇制」という存在が自立した「政治主体としての国民」による社会形成を妨げるーという旧式な類型的批判でしかない。

「天皇制」が“あるから”国民が自立した政治主体になれない、などと責任を転嫁する態度は、それこそ「天皇制」に依存した、非自立的な“甘え”の裏返しに他ならないだろう。


なお本書中には一方的な思い込みによる牽強付会の議論が目につく一方、興味深い発言もある。


「(被占領下でも国民の)天皇への熱狂が消えていないからこそ逆にGHQは恐れたんですよ」(原氏)


「(戦争で)あそこまで徹底的にやられて…ひどい体験をしておきながら 、なぜ天皇が現れた途端、みんな万歳をするのか。本当に不思議ですよ」(同)


「戦後、平和の象徴とされた昭和天皇の息子である平成の天皇は、戦前との連続性を保ちつつ死者たちを弔うことができる面がある。…我々ができていないから、かろうじて天皇が代わって、

あるいは我々を代表して死者を悼んでくれているということになる」(奥泉氏)


「とりわけ平成期につくりあげられた天皇イメージは、純一でイノセントな日本人共同体を代表するものだと思うのです。政治家ではそれはできない」(同)


「誠心から祈り、夫婦そろって被災地で被災者を励まし、戦地に行って兵士たちを悼む。

それは誰も文句を言えない、とても高い徳性を示す行動です」(同)


「平成の天皇·皇后は1人1人と相対する。

全国津々浦々、北は北海道の宗谷岬から西は沖縄県の与那国島まで行っているわけで…半世紀以上にわたって全国各地を渡り歩き、地方の人々と会って話をしてきた政治家なんていない。

だからあの(ビデオメッセージの中の)『市井の人々』という言葉にどれだけの意味が込められているか。それを想像すると、おそらく具体的にありありと思い浮かべることのできる顔や場面がいくつもあるはずです。その厚みというものを、私たちは想像しないといけない」(原氏)


「そもそも象徴の役割は何も法的な規定がないのに、天皇が自分でつくってきたわけだし…『象徴』ということに対する思索の積み重ねが圧倒的に違う。だから、そのことに誰も反論できないということになってしまった」(奥泉氏)


「天皇制が廃されたら 日本社会はその美点を失って、 より悪くなるんじゃないかという不安があるのはよくわかります。その不安は私にもないわけじゃない」(同)


「皇室の人たちに人権はないとよく言われますが、『人権がなくてもいいです』と言って引き受けてくれないと続かないのでは、無理がないか。嫌だという人が出てきたら終わりますよね」(同)


少なくとも、その辺りの男系限定論者よりずっと真剣に「天皇」という存在に対峙しようとしていることは、伝わる。但し、初歩的な間違いが散見するのは残念だ。


大正天皇の即位の礼について「即位礼正殿の儀」とする(原氏の発言)が、正しくは「即位礼当日紫宸殿の儀」だし(前者は平成以降の用語)、「(国会の)開院式」とある(同)のは「開会式」が正しい(前者は帝国議会の場合)など。


本書とは別に、天皇否定の立場を鮮明に打ち出した近年の著作として西尾映三氏『天皇制と現代日本社会』(Art&Books)がある。

同書は、天皇制を廃止して皇居を売却すれば消費税を2年間ゼロにできるとか、任期制の儀礼的大統領職で代替可能だとか述べているが、改めて取り上げるには及ばないだろう。



▼追記

①内閣府から4月29日開催の昭和100年記念式典への案内状が届いたので、出席の返事をした。

②共同通信社の大木賢一氏から『「平成の天皇家」と「令和の天皇家」』(講談社+α新書)の恵送を受ける。ご好意に感謝。

③「女性自身」2月17日発売号にコメント掲載。

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