男系言論の自覚なきダブルスタンダードと皇室「尊厳」の無視
- 高森明勅
- 16 分前
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すっかり読まれなくなった『月刊正論』の7月号に、読売提言への“無駄な抵抗”特集。
その中に私への批判(百地章氏の執筆)もあった。
なので、愛犬“豆大福(豆太郎+大福)”の散歩の合間に、立ち読みがてら検証。
その3回目。
⑥「(旧宮家系)子孫の方々を『一般民間人』❲!?❳と貶め、皇族として迎えることを否定しておきながら、他方では、女性皇族の配偶者つまり皇室とは縁もかけら❲原文のママ。“ゆかり”?❳もない文字通りの『一般民間人』❲!?❳を皇族にせよ、と主張するのだから矛盾極まる」
文中に、私がこれまで使った記憶が無い「一般民間人」という語が、2度も使用されている。
何か強い思い込みがあるようだ。
それはともかく、ここに男系固執派がよく使う論法が現れている。旧宮家系子孫の一般国民が皇族になるのは駄目なのに、内親王·女王の配偶者ならば一般国民が皇族になっても良いのは「ダブルスタンダード」(八木秀次氏)、「矛盾極まる」と。
しかし、比べ方が間違っている。婚姻を巡るプランだから、比較対象は男性皇族=親王·王の配偶者でなければ、まともな議論にならない。
令和の皇室を見ても皆様、元は一般国民だ。しかし、婚姻という“心情的·生命的”な結合を介して皇族になられている(皇室典範第15条による)。このような事は、前近代には全く前例が無かった。近代以降の全く新しい制度だ。しかし、それに違和感を表明する者は誰もいない。既にすっかり定着している。
どころか、男系論者らも前例が無かった事実を知らない有り様。
その無知ゆえに、男性が婚姻によって皇族になることを皇室史上の大変革のように錯覚している。
その前(!)に女性によって、“婚姻を介して皇族になる”先例がとっくに拓かれている。
にも拘らず、女性皇族=内親王·女王の婚姻の場合“だけ”、許されないのか。
それこそが「ダブルスタンダード」であり、「矛盾極まる」。
生命的結合を基礎とする婚姻と、“法的手続き”だけで可能になる養子縁組を、同列に扱えないのは自明だ。皇族の配偶者やお子さまが国民という家族は、近代以来の「家族は同一身分」という原則を覆す。更に、憲法の皇室への要請(第1章)と国民に保障する自由や権利(第3章)の、どちらも危うくする。
皇室の尊厳と「聖域」性を尊重する態度が僅かでもあれば、決して容認できないプランのはずだ。旧宮家子孫=一般国民を養子縁組でそのまま皇族にするプランにしても、“皇族と国民”による家族プランにしても、男系固執派が皇室の「聖域」性を敬い、“皇室と国民の区別”を厳格に守ろうとする気持ちを全く持ち合わせていない(!)本性が、丸分かりだ。
特集中、「皇女さまと結婚しただけで皇族になれるなどと聞いたら、弓削道鏡や足利尊氏は失神するだろう。『皇族って、そんなに簡単になれるのか?』と叫びながら」(倉山満氏)という文章も見かけた。
叫び“ながら”失神する(ながら=その動作をするのと“同時に”他の動作を行う·同じ人が異なる動作を“並行して”行う)って、書き手の頭の中でどんな妄想が浮かんでいるのか。
それはともかく、前近代に生きた彼らは、男性皇族との結婚による女性の皇籍取得ついても、全く同じような反応を見せるに違いない。
しかも道鏡(弓削は俗人時代の氏の名なので“弓削道鏡”は間違い)にも皇胤説(『公卿補任』など)があるのは一先ず横に置いても、足利尊氏は旧宮家系子孫と同じく“生物学的な意味”では紛れもなく「男系の男子」(清和天皇から15世)。
なので、養子縁組による皇籍取得なんてプランが実現した日には、ひっくり返って驚くはずだ。
「だったら俺も皇族になれたのか!」と。旧宮家対象者は崇光天皇から20世以上。だから尊氏よりも天皇から遠い血縁だ。
ちなみに皇籍離脱後の世代数で言えば、反乱を起こして「新皇」を名乗った平将門が2世代目なので、ほぼ同じ。但し血縁は桓武天皇から5世だから、対象者よりも遥かに近い。
(続く)
▼追記
先月のプレジデントオンライン「高森明勅の皇室ウォッチ」の記事が「5月BEST記事」に選ばれて6月23日から再掲載。社会ジャンルで1位だった。
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