麻生太郎氏の「皇室会議」への不信感の根拠が幼稚すぎる
- 高森明勅
- 5月25日
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自民党の皇位継承問題への対応は麻生太郎氏に一任されたという。
その麻生氏は、内親王·女王の配偶者やお子さまを皇族の身分とするかどうかについて、皇室会議で決定するという立憲民主党の提案を、いつまでも受け入れられないでいる。
その理由は何か。
「メンバーが政権によって入れ替わる皇室会議が、外国人との結婚を女性皇族が希望するようなケースを含め、皇室に迎える人物の人格や資質をその都度、適正に判断できるのか、確信が持てないからだ」(読売新聞5月15日付)
麻生氏と言えばずっと以前、外務大臣時代に、さいとう·たかを氏の劇画『ゴルゴ13』で国際情勢を勉強していると話題になったことがある。しかし、皇位継承問題については『ゴルゴ13』レベルの参考書に恵まれていないようだ。
皇室会議は男性天皇や男性皇族の婚姻の際、必ずその同意が必要とされている(皇室典範第10条)。
その場合は「外国人との結婚を“男性”天皇や“男性”皇族が希望するようなケースを含め、皇室に迎える人物の人格や資質をその都度、適正に判断できるのか、確信が持て」るのか。
もし男性の場合“だけ”は「適正に判断できる」と考えているなら、その客観的な根拠を示さなければ、説得力がない。
又、皇室会議は婚姻どころか、皇位継承の順序の変更や、天皇の国事行為を全面的に代行する摂政の設置という、極めて重大かつ機微わたる事項について、天皇ご本人のご意思に関わりなく決定する権限すら、与えられている(同第3条·第16条第2項)。
皇室会議がそれほど重い権限を当然のように認められながら、女性皇族の婚姻の場面について“だけ”不信の目が向けられるというのは、余りにも均衡を欠いた思考ではないか。
それに、「政権によって入れ替わる」背景には、国会における多数党の交替が前提となっている。
その場合は、皇室典範それ自体の改正すら視野に入ることになる。
そうであれば現在、どのようなルール作りをしていても変更可能なのだから、意味を持たない。
そもそも、皇室会議は皇族及び立法·行政·司法の三権の代表者が一堂に会する唯一の国家機関であり(同第28条)、これ以上に権威ある機関は想定し難い(だからこそ皇位継承順序の変更までが権限とされている)。
それに敢えて不信の目を向けるのであれば、より信頼性のある決定機関を具体的に示すべきだ。
まさか自民党とか日本会議国会議員懇談会の役員会とでも言うつもりだろうか。
皇室会議の議長は首相であって(同第29条)、麻生氏は首相も経験したはずだが、どうやら失礼ながら皇室会議の何たるかも理解できないまま、退陣を余儀なくされたようだ。
▼追記
今月2本目プレジデントオンライン「高森明勅の皇室ウォッチ」が5月25日に公開。
敬宮殿下の石川県へのお出ましを取り上げた。