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凋落する産経新聞の紙面から伝わる「読売提言」への歯ぎしり

  • 執筆者の写真: 高森明勅
    高森明勅
  • 5 日前
  • 読了時間: 3分

凋落する産経新聞の紙面から伝わる「読売提言」への歯ぎしり

5月15日の読売新聞の提言が大きな反響を呼んでいる。

その巨大な波紋の隅っこで、産経新聞が歯ぎしりしている様子が紙面から伝わる。


翌16日の一面コラム「産経抄」では、故·安倍晋三元首相が生前「女性宮家になりたい方は誰もいない」などと述べていたと記す。これは匿名欄だが、恐らく阿比留瑠比記者が書いたものだろう。


しかし、彼より安倍氏に食い込んでいたと見られる元NHKの岩田明子氏によれば、安倍氏は

「女性皇族は婚姻後も皇族の身分を持ち続ける」という選択肢を想定していたという(『文藝春秋』令和4年12月号)。


現に三笠宮家の彬子女王殿下と瑤子女王殿下は「自由な生活をしたいと望まれている」一方で、

女性宮家の制度化が実現すればそれに従われるご覚悟を披瀝しておられる(『文藝春秋』平成21年12月号)。


一方、安倍氏自身が旧宮家系子孫で養子縁組に応じる男子は「いない」と明言していたことが、知られている。だがそんな事実は、産経の記者には伝えたくなかったに違いない。


産経は更に19日、一面に「皇統と読売提言/分断招く『女系継承』は禁じ手だ」という

榊原智·論説委員長の論説を掲げた。

しかし、残念ながら既に聴き飽きた内容ばかり。なので、改めて詳しく批判するには及ばないだろう。


例えば「元皇族やその子が皇族になった先例はある。平安時代の第59代宇多天皇とその子の第60代醍醐天皇などがそうで十分参考になる」とある。


だが、今さら改めて言うまでもなく、検討対象になっている旧宮家系子孫は「元皇族」でもなければ「その子」でもない。親の代から皇籍になかった一般国民が、単独で新しく皇籍を取得して、その子孫に皇位継承資格まで認めるなんて「先例」は勿論、皆無。

だから全く「参考」にならない。


こんな調子なので、失礼ながら細かく言及するレベルに達していない。

だからここでは、私が読売提言を評価した「真剣な危機感」も、「皇室に寄り添う姿勢」も、「健全な常識的感覚」も、前提となる「歴史事実の確認」も“全て”抜け落ちている、とだけ述べておこう。


何より、最も初歩的な論点である「皇統」と「男系」の区別ができていないのが、致命的だ。

文中「女系継承の容認は日本の皇統断絶を意味する。


いくら天皇号を称していても正統性のない別王朝になり、憲法が期待する象徴性は失われ、日本には分断が生まれる」とある。


令和で唯一の皇女であられる敬宮殿下が即位され、そのお子さま(天皇皇后両陛下のお孫さま)が皇位を継承された場面を想像して、このように妄想する感覚は、もはや異次元と言うしかない。このような未来図は、自ら「皇統に属さない」と認める(竹田恒泰氏『伝統と革新』創刊号)

旧宮家系子孫男子による皇位継承にこそ、当てはまる表現だろう。


皇統に属さない旧宮家系子孫男子による皇位「継承の容認は日本の皇統断絶を意味する」(!)。


読売新聞は「『男系か女系か』の前に『世襲をいかに維持していくか』を優先し、それを実現するための最良の知恵を」呼び掛けた。産経新聞も「世襲をいかに維持していくか」、読売新聞に劣らない独自の前向きな「現実策」を示さなければ、気の毒だかその主張が多くの国民の心に届くことはない。


ちなみに、新聞の発行部数は全体に減少傾向だが、もともと部数が少なかった産経の場合、昨年は116万部から約83万部まで激しく減らしているようだ(「広告代理店の未来を考えるブログ」)。


全国紙からの陥落どころか、遂に100万部のラインまで割り込んだ(読売新聞は約575万部。ブロック紙で最大の中日新聞が、東京新聞などグループ全体で約243万部、中日新聞本体だけで約173万部という)。


10年後には、産経は僅か50万部まで落ち込み、(その前に?)消滅か吸収されているとの予測が現実味を帯びる。


産経の紙面作りの「機関紙」化が危ぶまれて久しい。

このまま衰退と過激化が進んでしまうのか。

長年の読者としては心配だ。


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