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  • 執筆者の写真高森明勅

天皇·皇后両陛下、敬宮殿下「国民の中に入って行く皇室」


天皇·皇后両陛下、敬宮殿下「国民の中に入って行く皇室」

天皇·皇后両陛下には、能登半島地震の被災地を2度にわたり、続けてお見舞い下さった

(3月22日、4月12日)。


これは異例のなさりようだ。


被災した人達に、いかに深く御心をお寄せ下さっているかが、拝察できる。

これにより、被災した主な地域は全て訪れて下さったことになる(石川県輪島市·珠州市·穴水町·能登町)。


被災者を直接お見舞いなさる際は、両陛下ともお腰を屈められ、1人ひとりと目を合わせ、ご丁寧にお優しく、それぞれの苦しみ悲しみを受け止めて下さっていた。そのお姿を拝見する私ども迄も、胸に迫るものを感じた。


そうした中、2回目のお出ましで穴水町の被災状況を吉村光輝町長のご案内により視察されていた折に、思わぬ出来事があった。


深刻な被害の中でも、視察地の近くで営業を行っている美容室があった。

その店内から、店員と客だろうか、数人が手を振って両陛下をお迎えする気持ちを表していた。

それに気付かれた陛下は、町長に「声を掛けていいですか」とおっしゃって、両陛下お揃いで美容室に立ち寄られた。


店内にいた人達には「お店はいつから再開されているのですか?」と尋ねられ、「お身体を大切にして下さい」と労われたという。全く予定になかったご行動だった。その店で両陛下をお迎えした人達の驚きと感激はいかばかりか。まさにサプライズ。


この事実を知って、私は直ちに昭和時代、まだ浩宮殿下と呼ばれていた頃に、天皇陛下が記者会見でおっしゃったおことばを思い出した。


「(いま国民が皇室に対して何を望んでいると思いますか、という質問に対して)即答はできませんが、やはり天皇陛下(昭和天皇)や両親(上皇·上皇后両陛下)が目指されているように、国民とともに歩む皇室、国民の中に入って行く皇室だと思います。そのためにはいろんな機会をとらえて、1人でも多くの人と接していくことが大切だと思います」(昭和61年7月23日、当時のご年齢は26歳)


ここで「国民とともに歩む皇室」を更に一歩進めて、「国民の中に入って行く皇室」と表現されていたことに、国民に“より深く”寄り添おうとされる天皇陛下のお気持ちが示されている。


令和になって、コロナ禍の為に天皇陛下が望まれた「国民の中に」という形がなかなか実現できなかった。しかし、やっとコロナ禍が過ぎて陛下が望んでおられる皇室像を実践できる状況になった。この度の震災に当たり、ご自身達のご負担は顧みられないで、短い間隔で2度続けて被災地にお入りになったのは、なるべく広く現地を訪れて、人々を慰め励ましたいという、両陛下のお優しいお気持ちの表れに他ならないだろう。


上皇陛下が積み重ねて来られた「国民統合の象徴」としてのお務めを、更に深められたとも言える。しかも予定外であっても、目の前の国民に可能な限り、その場で触れ合われるというご行動を、当たり前のように取っておられた。


「機会をとらえて、1人でも多くの人と接していく」というお考えを早速、実行されているのだ。

これが「令和流」だろう。


しかも、天皇陛下の穴水町でのサプライズに“先駆け”て、敬宮殿下が3月27日に三重県の斎宮歴史博物館を訪れられた時、同じような行動をなさっていた。案内の人にその場で確認された上で、出迎えた小学生達にご自身から近寄ってお声を掛けられるという、ハプニングがあった。

これは勿論、平素から「国民の中に」という天皇·皇后両陛下のお気持ちに接して来られたからこそ、ごく自然にそのように振る舞うことができたに違いない。


初めてのご出席となった「春の園遊会」での、敬宮殿下の高貴さと親しみを兼ね備えられたお姿を拝見しても、まさに直系の「皇女」ならではのオーラを感じさせる。

令和の皇室の輝きよ、永遠なれ!


追記

プレジデントオンライン「高森明勅の皇室ウォッチ」は4月26日に公開。

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