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  • 執筆者の写真高森明勅

敬宮殿下の日赤嘱託勤務ご内定と小説「看護師の愛子」


敬宮殿下の日赤嘱託勤務ご内定と小説「看護師の愛子」

1月22日、天皇·皇后両陛下のご長女、敬宮(としのみや、愛子内親王)殿下が学習院大学ご卒業後、皇室との縁(ゆかり)の深い日本赤十字社の嘱託職員として勤務されることが内定した、との報道があった。


もしご本人が希望されれば、大学院へのご進学も海外へのご留学も、たやすく可能なお立場であられ、又これまでご勉学にご熱心に取り組んでこられた経緯がある。その為、日本赤十字社というご選択を意外なことのように受け止めた人がいるかも知れない。


しかし、敬宮殿下は限られた選択肢の中で、個人的な志望よりも、早く人々に貢献する道を選ばれたのだろう。しかも学習院中等科1年生の時(平成27年)に「看護師の愛子」という短編ファンタジー小説を書いておられた事実を思い出す必要がある。


そこでは、主人公の「看護師の愛子」が海に浮かんだ診療所で1人、怪我をした海の生き物たちに対して「精一杯の看護をし」、やがて「海の生き物たちの生きる活力となっていった」物語が描かれていた。今回のことは、まさにあの小説の延長線上のご選択と言えるのではないだろうか。その意味では、初志を貫かれたとも言えよう。


成年を迎えられた時の記者会見でも、以下のように述べておられた。


「国内外の関心事につきましては、近年自然災害を増え、また、その規模も徐々に大きくなってきていることを心配しています。そのような中で、ボランティアとして被災地で活躍されている方々の様子をテレビなどの報道で目にしまして、自分が住んでいる街であるとかないとか関係なく、人の役に立とうと懸命に活動されている姿に非常に感銘を受けました。…私自身、災害ボランティアなどのボランティアにも関心を持っております」と。


改めて言う迄もなく、そうした災害ボランティアと日本赤十字社の活動は真っ直ぐに繋がる。上皇陛下から天皇陛下へと受け継がれている「象徴天皇」像の発展的継承という観点からも、日本赤十字社での嘱託勤務という形を通して、人々により近い場所で、具体的に国民に寄り添われるご経験は持たれることは、とても望ましいことではないだろうか。


天皇陛下がまだ浩宮(ひろのみや)殿下と呼ばれていた頃に、次のようにおっしゃっていた。

「(目指すべきは)国民とともに歩む皇室、国民の中に入っていく皇室だと思います。そのためにはいろんな機会をとらえて、1人でも多くの人と接していくことが大切だと思います」(昭和61年7月23日)この度の敬宮殿下のご選択は、天皇陛下のこのようなお考えを深く受け継がれるものだろう。嘱託という形なのは勿論、皇族としてのご公務を重視されているからに他ならない。皇族としてのお心構えについては、先の記者会見でお考えを明確に示されていた。


「1つ1つのお務めを大切にしながら、少しでも両陛下や他の皇族方のお力になれますよう、私のできる限り、精一杯務めさせていただきたいと考えております」


「皇室は、国民の幸福を常に願い、国民と苦楽を共にしながら務めを果たす、ということが基本であり、最も大切にすべき精神であると私は認識しております」と。


続けて、このようにも述べておられた。


「『国民と苦楽を共にする』ということの1つには、皇室の皆様の御活動を拝見しておりますと、『被災地に心を寄せ続ける』ということもあるように思われます。…苦難の道を歩まれている方々に思いを寄せ続けるということも、大切にしていくことができればと思っております」

皇族としてのご公務の一方で、他ならぬ日本赤十字社に嘱託勤務という敬宮殿下のご選択は、このようなお考えを実践されることにもなろう。


中学1年生だった敬宮殿下は、「私は海の生き物たちの生きる活力となっていったのである」と書かれた。実に示唆的であり、意味深い一節ではあるまいか。

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