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  • 執筆者の写真高森明勅

ゴー宣道場から「ゴー宣DOJO」への飛躍を歓迎し、期待する



ゴー宣道場から「ゴー宣DOJO」への飛躍を歓迎し、期待する


これまで私もいささか関わって来た討議イベント「ゴー宣道場」。主宰者の漫画家·小林よしのり氏が改名を打ち出された。「ゴー宣DOJO」に改める、と。


これは単なる看板の書き換えではなく、これまでの主に充実した討議·熟議に重点を置いた少し間口の狭いやり方を大きく転換して、より高度なエンターテイメント性を目指す路線に、本格的に踏み出そうとされている意図の表れだろう。


その背景にあるのは、皇位継承の安定化というわが国にとって最重要なはずの課題の解決が、いつまでも見えて来ない閉塞状況への危機感に他なるまい。


良質で真摯な討議·熟議を追求するだけでは、事態を動かすことは困難との判断によるものと推測する。


これまでの道場は、手前味噌ながら討議·熟議の場として現在の日本国内において、それほど恥ずかしくない水準を目指して来たはずだ。しかし、それだけでは肝心な現実へのアプローチが不十分と見切ると、惰性に流されることなく、惜しげもなく方向転換に乗り出せるフットワークの軽さは、さすがと言うしかない。


その上、エンターテイメントとして本気でクオリティの高さを求める場合、これまでと比べものにならない手間暇·費用も必要になるはずだ。まさに「公(おおやけ)」の為の勇気ある決断と言うべきだろう。こうした新しいチャレンジにおいて、例えば常連の登壇者に用いられていた「師範」などという厳(いかめ)しい肩書は不要であるばかりか、むしろ障害になりかねない。


又、エンターテイメント路線なら、それに相応しい陣容を整える必要があるだろう。

その方面のタレント(才能·技量)を備えた人材に、持てる力を存分に発揮して貰うのが望ましい。


その点、残念ながら私自身はエンターテイメント的には全く無能で、恐らく「良き観客」の末席に連なるレベルにも達していないのではあるまいか。新生「DOJO」のスタートを歓迎し、それが安定的な皇位継承への力強い突破口となることを信じたい。


「役割分担」「分担使命」ということを肝に銘じながら、私にもお役に立てることがあれば勿論、力を尽くすつもりだ。


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