わが国の天皇を巡り、「一君万民(いっくんばんみん)」「一視同仁(いっしどうじん)」という、“平等”に関わる大切な理念がある。
「一君万民」とは、天皇の前では全ての国民は平等であって、そこに差別や不平等があってはならない、ということ(この語それ自体の出典は明らかでない。例えば丸山真男氏『日本政治思想史研究』〔昭和27年刊〕に以下のような記述がある。
「明治維新は一君万民の理念によつて、国民と国家的政治秩序との間に介在せる障害を除去して国民主義進展の軌道を打ち開いた画期的な変革であつた」)。
「一視同仁」とは、天皇におかれては国民全てに対して分け隔てなく、平等にお優しいお気持ちを寄せられる、ということだ(この語の出典はシナ文献『韓昌黎先生集』で、一般的にも使われるが、ここでは天皇に関わる用法として述べる)。
確かに、これまでの天皇・皇室と国民の関係性、天皇・皇室のなさりようは、まさに「一君万民」「一視同仁」という理念に即したものであったと振り返ることができる。
取り分け、政治的・社会的に冷遇され、厳しい条件下に置かれた人々に対して、より一層、お優しいお気持ちを寄せられてきた事実が思い浮かぶ。或いは、ややもすれば偏見を持たれたり、人々の共感の輪から除外されたりしがちな少数者に対してこそ、慈しみの眼差しを注いでこられた。
それこそが、人々の間に“分断”を持ち込ませないように努めるべき国民結合の中心、「国民統合の象徴」としての責務であることを、深く自覚しておられるのだろう。
先頃、ご発表になった、天皇・皇后両陛下のご結婚30年に際してのご感想にも、以下のような一節があった。
「高齢者の方や若者たち、社会を支える人や苦労を抱える人など、多くの人々と出会って話を聞き、時には言葉にならない心の声に耳を傾けながら、困難な状況に置かれた人々を始め、様々な状況にある人たちに心を寄せていきたいと思います」
ここでおっしゃっている「苦労を抱える人」「困難な状況に置かれた人々」の中に、例えば“性的少数者”と言われる人たちがだけが除外されていると考える余地はないはずだ。