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  • 執筆者の写真高森明勅

養子縁組候補の旧宮家は皇族の期間より皇籍離脱後の方が長い


養子縁組候補の旧宮家は皇族の期間より皇籍離脱後の方が長い

旧宮家系国民男性の養子縁組プラン。

その候補となり得る未婚男性がいるとされているのは、久邇・賀陽・竹田・東久邇の4家。


これらの宮家の創立はそれぞれ新しい。


久邇家のルーツについては、伏見宮第20代・邦家親王の第4男子の朝彦親王(母親は側室・鳥居小路信子)が紆余曲折の末に久邇宮の宮号を賜ったのが明治8年(1875年)だった。


皇籍離脱が昭和22年(1947年)だから同宮家としては、僅か72年ほどしか存続していない(但し、それ以前に仏門にあって粟田宮・獅子王院宮と呼ばれ、復飾後、中川宮・賀陽宮を称した時期や一時、親王の身分を剥奪されたこともある)。


賀陽家の場合は、久邇宮家第1代・朝彦親王の第2男子の邦憲王(母親は側室・泉亭静枝子)が賀陽宮を称するようになったのは明治25年(1892年)で、宮家として独立されたのは明治33年(1900年)。存続期間は47年ほど。


竹田家については、北白川宮第2代・能久親王の第1男子の恒久王(母親は側室・申橋幸子)が明治39年(1906年)に竹田宮家を創立した。存続期間は41年ほど。


東久邇家は、久邇宮第1代・朝彦親王の第9男子の稔彦王(母親は側室・寺尾宇多子)が、竹田宮家と同じ明治39年に創立。よって存続期間も、竹田宮家と同じく41年ほど。


このように振り返ると、それぞれ既に宮家としての存続期間(=皇族だった期間)よりも、皇籍離脱後に“国民として”過ごした歳月(76年)の方が、長くなっていることに気付く。


なお、これらの諸家は上記の通り、全て非嫡系(側室に出自を持つ系統)である。

ところが、現在の皇室典範では“一夫一婦制”を前提として、皇族の身分を厳格に嫡出・嫡系(正妻に出自を持つ系統)に“限定”している(皇室典範第6条)。


よって、非嫡系の男子に新しく皇族の身分を認めることは、制度上の整合性を欠くとの指摘がある(大石眞氏)。


「現行法が採用する強い嫡出制原理との整合性という点から考えると、『皇統に属する男系の男子』がすべてそのまま対象者・適格者になるとするのは問題であろう」(大石氏、第4回「“天皇の退位等に関する皇室典範特例法に対する附帯決議”に関する有識者会議」〔令和3年5月10日〕配布資料)


この指摘を踏まえると、(仮に「門地差別」や当事者の意思などの問題を一先ず除外しても)旧宮家系男性に「対象者・適格者」は“いない”、という結論になる(非嫡系の旧宮家が、現行典範施行後、皇籍離脱までの僅かな期間〔5カ月ほど〕、皇族の身分を保持できたのは、典範附則第2項の“経過規定”による)。



追記

倉持麟太郎弁護士が「日常を奪う同意なき『社会的入院』と子ども、そして精神医療」クラウドファンディングという重大な問題提起をされた(募金の受付期間は6月10日~8月31日)。

極めて衝撃的だ。及ばずながら貧者の一灯を捧げさせて戴く。


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