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  • 執筆者の写真高森明勅

立法や法改正等を求める民間の運動に必要な3つの条件とは?


立法や法改正等を求める民間の運動に必要な3つの条件とは?

何らかの新しい立法や法改正などを目指す運動(ムーブメント)に必要な条件はどのようなものか。私自身はいわゆる運動家とか活動家ではないので、確かなことは言えない。それでも、これまでの乏しい体験や知見をもとに整理すると、およそ以下の3つではないか。


①ロジック構築

②世論喚起

③政界対策


一般的に言って、少なくとも新たな立法・法改正を目指す場合、よほど特殊な事情でもない限り、運動が成功する為にはこれらのどれも欠かせないはずだ。


①~③の前後関係は、理念型としては①→②→③だろう。しかし運動は“生き物”なので、その時々の状況次第で様々なケースがあり得る。②や③が進む過程で改めて①のブラッシュアップが求められたり、ある段階から②と③の平行的な取り組みが必要になったり、③での行き詰まりを打開する為に②に立ち戻って注力したり等々。


まず①の大切さは改めて言うまでもないだろう。


その運動が目指す目的の正当性・喫緊性などと、逆にそれを妨げ、遅らせることの不当性などについて、幅広い理解が得られる明確な“論理”が示されなければ、運動への共感や支持は広がらない。


これまできちんと結果を残した運動で言えば、「昭和」から「平成」、「平成」から「令和」への改元を可能にした元号法制化運動(→昭和54年に元号法が成立)の場合、村松剛氏・葦津珍彦氏ほか『元号―いま問われているもの』(昭和52年)に盛り込まれた内容あたりが、①に当たる成果だろう。


「昭和の日」制定運動(→平成17年に祝日法が改正されて同19年より4月29日が「みどりの日」から「昭和の日」に変更、「みどりの日」は5月4日へ)では、パンフレット『Q&A 4月29日はなんの日? ―「みどりの日」を改めて「昭和の日」にしましょう』(平成6年、執筆=高森)と、日本の祝祭日を考える会編『日本の祝祭日を考える』(平成6年、薗田稔氏ほか執筆、編集=高森)あたりがそれに該当するか。


勿論、必ずしも書籍化されたり、出版されたりする必要はない。説得力と普及力を備えたロジックがちゃんと構築されることこそが、重要だ。


国民の代表機関とされる国会を動かそうとするなら、②が重要であることも明らかだろう。


上皇陛下のご譲位を可能にした皇室典範特例法(平成29年)の場合、上皇陛下ご自身によるビデオメッセージが公表され、たちまち圧倒的多数の国民による合意が形成された。これは特別なケースだ(それでも一部の「保守」系論者などによる正気を疑うような妨害を排除する言論活動が必要だった。拙著『天皇「生前退位」の真実』〔平成28年〕など)。


元号法制化運動では、大型の街頭宣伝カー2台で47都道府県を巡る全国縦断キャラバン隊(キャラバンという言葉自体が“隊商”の意味なので、「キャラバン“隊”」という呼び方は厳密に言うと重複なのだが、当時は違和感なくそのように呼んでいたと記憶する)が組織され、世論喚起に努めた(昭和52年当時、大学生だった私は、夏休みを利用して西日本隊に加わり、一兵卒として中国地方の5県を巡った)。


昭和53年10月3日には、日本武道館で約2万人を集めた国民大会が開催されている。世論の盛り上がりを受けて、元号法制化を求める地方議会の決議も、同年末の時点で46都道府県・1100市町村に達した。「昭和の日」制定運動は元号法制化運動のように強力な宗教団体などを背景にしたものではなく、少数の有志からスタートしたが、熱心に集会や新聞広告を繰り返し、更に署名活動などで世論喚起に取り組んだ(署名は1千万人を目標としたものの、巨大組織などの後ろ楯を持たない為に、163万5千896人にとどまった。最大規模の集会では九段会館大ホールに約1100人が集まった)。


③については、一流レストランや高級ホテルで政治家や官僚への接待を重ね、高価なお土産なども渡す、という“ロビー活動”のイメージを持つ人がいるかも知れない。しかし、ビジネスの場合はどうか知らないが、民間の運動ではやり方が違う。


例えば「昭和の日」制定運動では、運動の提唱者だった出版社の社長と、実業家で団体役員の方、それに元政党機関誌の編集長だった方の3人(それぞれ、社会経験も学識も共に豊かで、弁舌に優れ、人柄も良い方々)がチームになって、議員会館に頻繁に足を運び、国会議員への働きかけを繰り返し、自民党本部で説明会を開催するなどの努力を積み重ね、遂に超党派の議員連盟の結成にまで漕ぎ着けた(勿論、この間には他のメンバーの努力もあった)。


この議連に加入した国会議員は衆議院で過半数、参議院でも半数弱にまで達した(議連の会長は衆院議長を務められた綿貫民輔氏)。


こうした水面下の努力があってこそ、民間の運動が国会を動かし、祝日法を改正することができた。


皇位継承の安定化を目指して皇室典範を改正する為には、同じように国会を動かすしかない。

しかし従来、政界対策への取り組みは、踏み込んだ形ではほとんど手を着けていないのが実情だろう(但しテーマの性格とこれまでの経緯から、元号や「昭和の日」の時と同じような議員連盟の結成を視野に入れる必要は、差し当たりないと考える)。


勿論、世論の盛り上がりもない状態で、政界対策だけに力を注いでも、はかばかしい成果は得られない。しかし一方で、世論の盛り上がりさえあれば、わざわざ政界対策をしなくても、国会議員が全く自発的に“満点の回答”を書き上げてくれると楽観できるか、どうか。


率直に言って、そこまで政治家を信頼する訳にはいかないのではあるまいか(立派な国会議員の方々には失礼ながら)。


これまでの成功事例を見る限り、上記の①②③は、それぞれどれも大切だと思える。但し、過去の成功事例に過度に囚われることも、注意が必要だ。インターネットをはじめ、社会条件は大きく変化している。だから、過去の“スタイル”をそのまま踏襲することは、むしろ躓(つまず)きを招きかねない。


昭和50年代の元号法制化運動と、平成5年からスタートした「昭和の日」制定運動の間でも、②の分野ではキャラバン隊の派遣から新聞広告へとシフトしたような“違い”があった(私自身はその両者にタッチしたことになる)。


ちなみに、占領下に無理やり平日にさせられていた2月11日=「紀元節(きげんせつ)」という祝日を、長年にわたる取り組みの末、昭和41年に法改正して翌年から「建国記念の日」として復活させた運動では、世論喚起の為にスローガンを書いた凧(たこ)を上げてアピールした(!)という体験談を、私は関係者から直接聴いている。

これも、昭和30年代の運動スタイルと言うべきか。


この時の①の分野では、日本古代史学者の田中卓博士の貢献が大きかった(日本文化研究会編『神武天皇紀元論―紀元節の正しい見方』〔昭和33年〕など)。又、上記の①②③について、誰かが1人でその全てをカバーできるということは、通常ならほぼあり得ない。


だから、皇室の将来を本気で心配している人であれば、各人の個性や経験に即して、得意な、或いは興味のある分野で、それぞれが可能な範囲で(しかし誠実に)コミットする、という心がけが望ましいのではないか。


幸い、デジタル技術の進展によって、個人の調査力や発信力は、以前とは比較にならないほど飛躍的に向上している。私のような時代遅れの純度100%のアナログ人間は、その方面に関しては、せめて足手まといにならないようにするのが精一杯、というところだ。

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