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  • 執筆者の写真高森明勅

古代日本のシナと異なる「女帝」公認と“女系”皇族の位置付け


古代日本のシナと異なる「女帝」公認と“女系”皇族の位置付け

「継嗣令」の“皇親(皇族)”を定義する条文(第1条=皇兄弟子条)の中に「女帝の子」を巡る規定がある。皇位継承問題に深い関心を持つ人ならば、恐らく知っているだろう。


男系限定論者の中には、それが『養老令』だけでなく、少なくともそれに先行する『大宝令』にまで遡る事実を知らない人がいるようだ(『令集解』に引用された『大宝令』の注釈書「古記」に該当箇所を引いているので確実)。


更に先行する『飛鳥浄御原令』には「親王・内親王」という語は無かったが、同様の趣旨の規定はあったと見る学説もある(成清弘和氏)。


該当条文について、ひとまず原文・読み下し文は省略して、その趣旨を噛み砕いて少し丁寧に紹介すると、以下の通り。


《◎男性天皇の兄弟姉妹とお子様は皆、「親王・内親王」という称号と待遇が与えられる。


◎本注=条文そのものに組み込まれた法的拘束力がある注として→女性天皇のお子様も、父親の男性皇族の血筋(=男系)なら「親王・内親王」より格下の「王・女王」となるが、男系では“なく”、母親の女性天皇の血筋(=女系)によって、男性天皇の場合と同じく「親王・内親王」とされる(女性天皇のお子様だけでなく、兄弟姉妹についても男性天皇と同じように「親王・内親王」とされることが、前出「古記」に記されている)。


◎それより血縁が遠い者は皆、「王・女王」という称号と待遇が与えられる。


◎親王を1世として4世まで(=①子・②孫・③曾孫・④玄孫)は皇族の範囲に含まれるが、5世(⑤玄孫の子、来孫)の場合は「王・女王」という称号を名乗ることはできるが、もはや皇族の範囲には含まれない》


これは、シナの律令を手本とした条文(具体的には唐の「封爵令」)でありながら、僅かな“本注”(原文=「女帝子亦同」)を追加することで、シナ男系主義(父系制)のもとでは決してあり得ない、「女帝」公認のみならず“女系”による皇族の位置付けまで行っている。


シナとは異なるわが国の独自性・固有性は、このような点に表れることに注目する必要がある。


奈良時代における元明天皇(母親)から元正天皇(娘)への皇位継承が行われた当時の基本法は『大宝令』。


その規定に従う限り、現代における勝手な歴史解釈ではなく、同時代における確かな事実としては、元正天皇は父親である男性皇族(草壁皇子)の血筋(=男系)ではなく、母親である女性天皇(元明天皇)の血筋(=女系)による皇族として即位された、としか理解できないはずだ。


これこそまさに「女系継承」。


プレジデントオンライン「高森明勅の皇室ウォッチ」は3月1日に公開されました。


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