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  • 執筆者の写真高森明勅

敬宮殿下が将来「無冠の女帝」では“権威の二重化”への懸念


愛子内親王殿下


名古屋大学大学院准教授で象徴天皇制度の研究者として知られている河西秀哉氏がこんな

発言をされている(「女性自身」12月13日号)。


「愛子さまは天皇陛下からお考えを直接伺えるお立場にあり、皇族としてのご自覚が非常に強いのも、それゆえでしょう。たとえ女性天皇にならなくても、将来は“皇室のリーダー”的存在として活躍される可能性はあるかと思います」


これは注意すべき発言だ。


と言うのは、「皇室のリーダー」は本来、天皇ご自身であるはずなのに、「天皇にならなくても」敬宮(としのみや、愛子内親王)殿下が「“皇室のリーダー”的存在として活躍される」という未来図を、1つの「可能性」として提出されているからだ(但し河西氏ご自身がこのような未来図の“問題性”をどれだけ自覚されているかは不明)。


確かに、今の制度のままなら女性天皇として即位されることは、あり得ない。


しかしその場合でも、小手先的な制度変更によって敬宮殿下がご婚姻後も皇族の身分にとどまられたら(有識者会議報告書のプランではそうなっている)、河西氏が可能性として想定されたような展開は、ある程度、想像できる(この発言が載った記事のタイトルでは、敬宮殿下が将来“皇室のリーダー”的存在として活躍された場合について、「無冠の女帝」という表現をしている)。


だが、それは果たして望ましいことなのか、どうか。


上皇陛下のご譲位に反対した一部の保守系論者の主張は、「(天皇と上皇による)権威の二重化」が起こる、というものだった。


私はそれに対し、「(上皇陛下が公的な振る舞いをお控えになるので)そのような事態にはならない」と反論した。結果は私が言った通りになった。


しかし、敬宮殿下が即位はされないものの、ご婚姻後も皇族の身分をそのまま保持されるという

制度変更がなされた場合はどうか。


その制度変更では当然、敬宮殿下に皇族として大いにご活躍戴くことを期待しているはずだ。

その敬宮殿下は天皇・皇后両陛下のお子様として、長年そのご薫陶を直接、受けておられる。

国民の多くも、両陛下の国民へのお気持ちを誰よりもストレートに受け継がれているのは、他ならぬ敬宮殿下だと受け止めている。


そうすると、天皇とは別に「皇室のリーダー的存在」「無冠の女帝」が存在するという“変則”的な事態も、決して想定外とは言えないだろう。これこそ「権威の二重化」ではないか。


あるいは、天皇は憲法に定められた13種類の国事行為に当たられる。それによって「日本国の象徴」としての地位は全うされる。しかし、畏れ多いが「日本国民統合の象徴」としての地位はどうか。


敬宮殿下が様々な公的なご活動に誠実かつ熱心に携わられ、それによって多くの国民の敬愛の念が集中すると、憲法上の規定とは別に、「日本国民統合の象徴」たるに相応しい方が事実上もう1方いらっしゃる、あるいは憲法上の「日本国の象徴」と事実上の「日本国民統合の象徴」が分裂する、という異常事態に陥らないとも限らない。


これは勿論、決して望ましいことではない。と言うより、何としても回避すべき事態だろう。

だが、先に述べたような中途半端な制度変更が行われた場合、あり得べきことではあるまいか。


少なくとも、その可能性を全面的には否定できないはずだ。それを避ける為にはどうすべきか。

恐らく正解は1つしかないだろう。

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