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  • 執筆者の写真高森明勅

古来例外なく男系継承が維持されてきたとは言えない実例検証


古来例外なく男系継承が維持されてきたとは言えない実例検証

皇室典範第1条に次のようにある。 


「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」これによれば、皇室典範の立場において「皇統」という概念それ自体には男系・女系の両方が含まれることが分かる。また男系・女系それぞれに男子・女子が含まれることになる。


その上で、法律上のルールとして、皇位の継承資格を“敢えて”男系でしかも男子だけに限定している(男系の女子、女系の男子・女子は除外)、という組み立てだ(上位法の憲法は「世襲」〔=皇統による継承〕を定めるのみで、典範のような限定は一切ない)。


以上の整理をもとに(皇室典範の改正について検討する場合は、皇室典範“そのもの”の用語法を共通基盤としなければ、生産的な議論に繋がらない)、歴史上の女性天皇に当てはめると以下の通り。


①推古天皇(第33代)=父親・欽明天皇/母親・蘇我堅塩媛(男系の女子)

②皇極天皇(第35代)・③斉明天皇(第37代)=父親・茅渟王/母親・吉備姫王(父母共に天皇の孫〔2世〕)…重祚の事例

④持統天皇(第41代)=父親・天智天皇/母親・蘇我遠智娘(男系の女子)

⑤元明天皇(第43代)=父親・天智天皇/母親・蘇我姪娘(男系の女子)

⑥元正天皇(第44代)=父親・草壁皇子/母親・元明天皇(女系の女子←「大宝継嗣令」の“女帝の子”に該当)

⑦孝謙天皇(第46代)⑧称徳天皇(第48代)=父親・聖武天皇/母親・藤原安宿媛(男系の女子)…重祚の事例

⑨明正天皇(第109代)=父親・後水尾天皇/母親・徳川和子(男系の女子)

⑩後桜町天皇(第117代)=父親・桜町天皇/母親・二条舎子(男系の女子)


皇位継承を巡り「男系継承」とは“男系の皇族”による継承を意味し、以上のうち①④⑤⑦⑧⑨⑩の7例がそれに該当する。


⑥は父母共に皇統に属しているが、当時の「大宝継嗣令」が定める“女帝の子”は父親の男性皇族の血筋=男系ではなく母親である女性天皇の血筋=女系とするルールに基づいて、「女系継承」

と言える(本来のシナ男系主義のもとでは“同姓不婚の原則”に真正面から抵触するので、このようなケースはあり得ない。以下も同じ)。


②③(重祚)も両親共に皇統に属し、どちらも天皇からの血縁の遠さが同じ(2世=父親の茅渟王が敏達天皇、母親の吉備姫王が欽明天皇の、それぞれ孫)。


よって、父母双方が共に皇統という意味で「双系継承」と言えるケース。

少なくとも、予め男系優先という判断枠を前提としなければ、男系継承と判定しがたい。


以上の他、男性天皇にも言及すれば天智天皇(第38代)・天武天皇(第40代)のご兄弟は父母共に天皇(父親・舒明天皇/母親・皇極〔斉明〕天皇)という事例。


これも双系的で(舒明天皇と皇極天皇は伯父―姪の関係)、男系優先という前提条件がなければ、そのまま男系継承とは見なし難い。


又、文武天皇(第42代)は元正天皇の弟に当たるが、即位したのは『大宝令』施行前で、『飛鳥浄御原令』に継嗣令“女帝の子”規定に相当する条文があったとしても、母親の元明天皇は文武天皇の“後”に即位しており(従って即位当時は父親の草壁皇子と同じく天皇との血縁が1世の皇族〔皇女〕)、姉とは事情が違って必ずしも「女系継承」とは言えない。


しかし一方、上記の例と同様に双系的事例(父母はいとこ同士)で、ことさら男系優先の視点に立つのでなければ、男系継承と断定できない。


更に注目すべきは、少し遡る欽明天皇(第29代)のケースだろう。この天皇は、父親が天皇で母親が皇女なので、普通なら男系と見るべきところだが、そのように簡単には言い切れない。


父親の継体天皇(第26代)は応神天皇から5世の子孫で律令制下ならば皇族の範囲外という、傍系としても桁違いな血統の遠さである一方、母親の手白香皇女は直系の仁賢天皇(第24代)の皇女(1世)であって、先帝(武烈天皇〔第25代〕)の姉に当たる。


当時の実情を見ると女系と位置付けられていた可能性が高い(異母兄に当たる安閑天皇〔第27代〕・宣化天皇〔第28代〕は遠い傍系の継体天皇の男系の血筋のみで、直系の手白香皇女の

女系の血筋を引いていなかったゆえに、その子孫が皇位を継承することはなかった)。


ちなみに、欽明天皇以降の代々の天皇は全てこの天皇の血筋を引いている。 


このように少し丁寧に振り返ると、これまで政府が繰り返し表明してきた「男系継承が古来例外なく維持されてきた」(平成31年3月13日、参院予算委員会での安倍晋三首相の答弁)などと、安易に言えないことが分かる。

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