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執筆者の写真高森明勅

ルイ16世の処刑、フランス革命「恐怖」への幕開け


ルイ16世の処刑、フランス革命「恐怖」への幕開け

念の為に、フランス革命の“一場面”を紹介しておく。ルイ16世処刑の場面だ。

これはフランス革命において、「恐怖」にピリオドを打つ出来事ではなく、むしろ本当の「恐怖」への“幕開け”だった。


「(1793年)1月21日朝、(パリ市内の)すべてのセクション(地区)の戦士と連盟兵が二重の人垣をつくる通りを王(ルイ16世)をのせた馬車が進んだ。革命広場は二万の群集で埋まったが、声を発する者はなかった。


パリは深い感動をかみしめているようであった。10時に王は断頭台のもとに着いた。王は自ら上衣(うわぎ)をとり、手をしばられたのち、ゆっくりと階段をのぼった。それまで鳴っていた太鼓の音が止んだ。ルイは群集のほうにふりむき、おおきな声で叫んだ。


『人民よ、わたしは無実のうちに死ぬ…』


太鼓の音が王の声をとざした。王は傍らの人びとにこういった。


『わたしはわたしの死をつくり出した連中を許す。わたしの血が二度とフランスに落ちることのないように神に祈りたい』


一瞬ののち、死刑執行人が王の血のしたたる首を群集に示した。


『共和国万歳』という叫びがいくつかあがった。国王処刑は重大な問題であった。それはフランス人が1000年来のみずからの歴史に終止符をうつための飛躍であった。…



しかし、王が敬虔(けいけん)なキリスト教徒として、また自己の罪を認めることなしに刑に服したことは、いいしれぬ後悔の念をフランス人に残した。『王ごろし(レジシッド)』は不吉なよび名となって、のちの政治的対立の争点になるであろう。また、王の処刑は『9月虐殺』とはちがって、計画的で組織的な行動であった。それは組織的なテロリズムへの道を開いた。王の処刑に消極的であったジロンド派がまずテロリズムの歯車に巻き込まれ、ついでロベスピエール一派もやがて巻き込まれるであろう。すべては自動法則のごとく進行する。その発端をなすものが、王の処刑であった。…


以下につづく物語は、『王を裁いた人びと』がいかにして自分たちを犠牲に供したかの物語となるであろう」(河野健二氏『世界の歴史 15 フランス革命』)


翻って考えると、わが国において皇位継承の将来がこのままでは閉ざされると“分かっていながら”、それを放置する振る舞いは、ほとんど「王ごろし(レジシッド)」に近いのではあるまいか(又は“緩慢な”王ごろし!)。


「共和国万歳」という叫び声を私は聞きたいとは思わない。


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