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  • 執筆者の写真高森明勅

「旧宮家プラン」を巡るいくつかの基礎的な事実


旧宮家プラン」基礎の画像


側室制度を前提とした非嫡出・非嫡系による皇位継承という選択肢が失われた状態でも、明治の皇室典範以来の「男系男子」限定を“思考停止”的に維持しようとする人々(いわゆる男系派)は、

旧宮家系国民男性の皇籍取得を可能にする方策(いわゆる旧宮家プラン)を唱えて来た。


しかし、傍系の宮家も非嫡出・非嫡系による継承に支えられて来た(それでも多くの宮家が廃絶した)以上、そもそも皇位の安定継承につながらない。


しかも、旧宮家系国民男性“だけ”特権的に(婚姻を介在させないで)皇籍取得が可能となる制度は、憲法が禁じる「門地による差別」(第14条第1項)に当たるので、現実的にも採用できない。


もし、政府・国会が“無理な”憲法解釈により敢えて制度化を強行すれば、国民平等の原則が大きく損なわれ、皇室は国民の間に「門地による差別」を持ち込む存在と見られかねない。


よって、このプランは普通に考えて採用しがたいはずだ(一発アウト!)。

それを前提に、念の為に旧宮家プランを巡るいくつかの基礎的な事実を“おさらい”しておく。



旧宮家プランの対象者は10名?


まず、旧宮家プランの対象者は具体的に何人いるか。

これは、私自身が裏取りをした事実ではない。いわゆる男系派から提出されているところでは、以下の通り(令和元年12月5日現在の数字という)。


〇賀陽家=2人。

〇久邇家=1人。

〇東久邇家=6人。

〇竹田家=1人。

合計10人。


ちなみに、これらの家々は遡ればすべて非嫡系だ。

傍系宮家の存続の為にも、“非嫡出・非嫡系”の貢献がいかに大きかったかが分かるだろう。



当事者自身による「否定」


旧宮家プランはたとえ対象者が10人(あるいはそれ以上)いても、当事者の同意がなければ強制的に実現できないし、勿論すべきでもない。

そうであれば、各旧宮家関係者の本人又は子息の皇籍取得への意思はどうか、が問題になる。

これまで知られている限りでは、次の通り(匿名の伝聞情報は除外)。


〇賀陽家→「立場が違いすぎ、恐れ多いことです」(賀陽正憲氏)

〇久邇家→「『何をいまさら』というのが正直なところ本心だ。…拒否反応がある」(久邇邦昭氏)

〇東久邇家→「私は外野の人間。…現実的に難しいかなと。

そんな話になってもお断りさせていただく」(東久邇征彦氏)

〇竹田家→「私自身は仮に打診があっても受けるつもりはございません」(竹田恒泰氏)


今のところ、プランを受け入れる意思を示した人物は知られていない。



旧宮家系子孫の血縁の遠さ


さらに、旧宮家プランの対象者は天皇との血縁が極めて遠い(20世以上!)。

被占領下のGHQの政策とは関係なく、もともと血縁が遠い傍系宮家の皇族は皇籍離脱(臣籍降下)する国内のルールがあった(「皇族ノ降下ニ関スル施行準則」大正9年施行)。

現在、旧宮家プランの対象者と考えられている人々に、そのルールをそのまま適用した場合はどうなるか。


「たとえ戦後直後における皇籍離脱がなくても、内規(=皇族ノ降下ニ関スル施行準則)上は臣籍降下せざるを得なかった家々の末裔たちばかりである」(小田部雄次氏『皇族』)


「この準則が戦後も存続していた場合…(対象者、又はその親の世代)から全員降下しなければならないことになっていたのである」(所功氏『皇室典範と女性宮家』)


「敗戦後の昭和22年、残っていた伏見宮系の皇族もすべて皇籍を離脱したが、準則の規定に従えば、このことがなくても、彼らの系統は、近い将来、すべて臣籍に降ることになっていた」(梶田明宏氏『歴史読本』平成18年11月号所収)


旧宮家プランの対象者は皆さん、GHQの強圧がなくても国内のルール上、もともと皇族の身分を離れる建前だった。その建前が、そのまま機械的に適用されたかはともかく(同準則が効力を持っていた時代に実際に行われた12例の臣籍降下は「間接的に適用されていた」と評価されている。阿部寛氏『明治聖徳記念学会紀要』復刊50号所収)、それほど血縁が遠いというのが実態だ。



内廷プラス4ないし5宮家で安定継承という幻想


皇室に内廷(いわゆる天皇家)プラス4ないし5の宮家(つまり5ないし6の系統)を世代を越えて

「常に確保し続けることによって、側室なくとも男系継承は確率論的に可能である」という意見がある(竹田恒泰氏『伝統と革新』創刊号所収)。


しかし、これは過去の天皇の正妻が男子を生まなかったのは26.5%にとどまる、との前提で組み立てられた推論だった。ところが、伝説的なケースを除外して史実に近い数字を探ると、35.4%になる。よって、前提条件はもっと厳しい。


又、「確率論」を無下に排除するつもりはないが、その限界も考慮に入れておく必要がある。

現に、秋篠宮殿下から悠仁親王殿下までの間に9人続いて女子(内親王・女王)ばかりがお生まれになった事実も、確率論的には極めて稀な出来事であった。

しかし、現実にそのようなことが起こり得るのだ。


さらに、「側室なくとも」果たして内廷プラス4ないし5の宮家を「“常に”確保し続ける」ことはそもそも可能なのか、という根本的な疑問がある(戦後、内廷プラス3宮家でスタートした皇室は、今の制度のままだと、やがて宮家がゼロになってしまう)。


と言う以前に、最初の時点で4ないし5の宮家を確保できると考えること自体、かなり空想的ではあるまいか。逆に、「男系男子」限定という“縛り”を解除すれば、それほど多くの宮家を確保しなくても、継承可能性が格段に高まることは改めて言うまでもない。


いずれにせよ、旧宮家プランは“憲法違反”の疑いを綺麗サッパリ拭い去らない限り、現実的な選択肢にはなり得ないことをもう一度、確認しておく。


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