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  • 執筆者の写真高森明勅

エマニュエル・トッド氏の明快な日本「核武装」論


エマニュエル・トッド氏の日本「核武装」論


『文藝春秋』5月号の巻頭論文はフランスの歴史人口学者、エマニュエル・トッド氏の「日本核武装のすすめ」。


極めて明快かつ説得力のあるロジックを提示している。


「当面、日本の安全保障に日米同盟は不可欠だとしても、米国に頼りきってよいのか。米国の行動はどこまで信頼できるのか。こうした疑いを拭えない以上、日本は核を持つべきだと私は考えます」


「日本において『核』はセンシティブな問題だということは承知しています。…しかし、そもそも『核とは何か』を改めて冷静に考える必要があります。…核の保有は、私の母国フランスもそうであるように、攻撃的なナショナリズムの表明でも、パワーゲームのなかでの力の誇示でもありません。


むしろパワーゲームの埒外にみずからを置くことを可能にするものです。…核を持つことは、国家として自律することです。核を持たないことは、他国の思惑やその時々の状況という偶然に身を任せることです」


「ウクライナ危機は歴史的意味を持っています。

第2次大戦後、今回のような『通常戦』は小国が行うものでしたが、ロシアのような大国が『通常戦』を行ったからです。つまり、本来『通常戦』に歯止めをかける『核』であるはずなのに、

むしろ『核』を保有することで『通常戦』が可能になる、という新たな事態が生じたのです。

これを受けて、中国が同じような行動に出ないとも限りません。これが現在の日本を取り巻く状況です」


「いま日本では『核シェアリング』が議論されていると聞いています。しかし、『核共有』という概念は完全にナンセンスです。『核の傘』も幻想です。


使用すれば自国も核攻撃を受けるリスクのある核兵器は、原理的に他国のためには使えないからです。中国や北朝鮮が米国本土を核攻撃できる能力があれば、米国が自国の核を使って日本を守ることは絶対にあり得ません。


自国で核を保有するのか、しないのか。それ以外に選択肢はないのです」


現実を誤魔化さずに直視しすれば、このような結論になる以外にないだろう。



追記

4月29日「昭和の日」に開催された「皇室セミナー」は、オンラインも含めて685名ほど参加してくれたらしい。あいにくの雨の中、わざわざ会場に詰めかけてくれた若者たちの熱意が伝わかった。


手前味噌ながら、楽しく真剣な会になったのではないか。大成功だろう。

一緒に登壇した倉山満氏も「またやりましょう」と言ってくれた。

今度は別の組み合わせで行うのも一案だろう。


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