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  • 執筆者の写真高森明勅

秋篠宮殿下は何故「皇太子」を辞退され、宮号を維持されたか?


秋篠宮殿下の画像

安倍内閣の時に設置された「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」の座長代理を務められた政治学者の御厨貴氏。


同会議での制度設計プランに関わって、以下のように証言をしておられた(朝日新聞デジタル令和2年11月8日、16時56分配信)。


「上皇さまの退位に関する議論が開始された当初は、秋篠宮さまが『皇太子』と呼ばれる可能性もあった。だが、途中で政府高官から、秋篠宮さま自身が『皇太子の称号を望んでおらず、秋篠宮家の名前も残したい意向だ』という趣旨の説明があり、皇位継承順位第1位の皇族であることを示す『皇嗣』という称号に落ち着いた。秋篠宮さまの真意は今もわからない」と。


「政府高官」というのは主に内閣官房長官を指す。

なので、この場合は恐らく当時の菅義偉長官だろう。



御厨証言の信頼性



それはともかく、注意すべき証言だ。

何しろ、秋篠宮殿下が①「皇太子」という称号を辞退され、②「秋篠宮」という宮号(みやごう)の維持を望まれたというのだ。これは重大な意味を持つ。


しかし、この証言をどのくらい信用してよいか。私の考えでは、およそ信じてよいと思う。


まず、御厨氏は会議で座長代理を務められた当事者である。次に、秋篠宮殿下が「皇太子」又は「皇太弟」などの称号を持たれ、改めて内廷に編入されることもあり得たはずなのに、そのようにならなかったという事実がある。


更に、極めて重大な証言であるにも拘らず、「政府高官」や宮内庁などがそれを訂正しなかった。

それらから、概ね事実を伝える証言と見てよいだろう。



「皇太子」か「皇太弟」か



但し、「皇太子」という称号は、皇室典範に既に次のように規定している。

「皇嗣たる皇子を皇太子という。皇太子のないときは、皇嗣たる皇孫を皇太孫という」(第8条)


ここにある、皇嗣が天皇の“お子様(皇子)”の時に「皇太子」とし、“お孫様(皇孫)”の場合は「皇太孫」とするという用語法を踏まえると、秋篠宮殿下は天皇陛下にとっては“弟宮(皇弟)”に当たられるので、「皇太子」という称号を拡大適用するのではなく、「皇太弟」という称号を新しく制度化した方が適切だろう。


いずれにせよ、御厨氏の証言をほぼ信じてよいのであれば、秋篠宮殿下の「真意」を拝察するのは、さほど困難ではないのではあるまいか。



“宮号”を維持されたご真意



「皇太子」は、次の天皇として即位されるべきお立場だ。それは次代の天皇であられることが理念上、確定したお立場と言ってよい。


これに対し、もともと一般的呼称に過ぎない「皇嗣」は異なる。その時点での皇位継承順位が第1位というにとどまる。だから客観的な状況次第で、その順位は変わる可能性がある。つまり、必ずしも次の天皇であられることが確定したお立場ではない。


上記の点を考慮すれば、秋篠宮殿下が「皇太子(皇太弟)」を辞退されたご真意は、とても分かりやすいのではないか。


更に宮号は、内廷(いわゆる天皇家)から離れた“傍系”であられることの表示でもある(これに対して、「敬宮」というご称号は直系の証)。


その傍系の表示である「秋篠宮」という宮号の維持をご本人が望まれたということは、「皇太子(皇太弟)」との称号を断られた事実と、まさに整合的だ。


秋篠宮殿下が「皇太子(皇太弟)」を避けて、「秋篠宮」という宮号を名乗り続けておられる目の前の事実そのものが、皇位のご継承に対する殿下の“ご意思”を明確に示しているだろう。


従って、政府が新たに立案した「立皇嗣の礼」という前代未聞の儀式などは、恐らく殿下にとって心外な行事だったはずだ。有識者会議の報告書に、現在の「皇位継承の流れをゆるがせにしてはならない」(6ページ)と強調していたのも、残念ながら殿下のお気持ちとはかけ離れていたと言わざるを得ない。


追記


プレジデントオンラインで3月24日・25日と連続して公開された2本の拙稿は、有難いことに注目を集め、好評を戴いたようだ。



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