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悠仁親王殿下ご誕生の時点で既に警鐘は鳴らされていた

執筆者の写真: 高森明勅高森明勅

悠仁親王殿下と秋篠宮殿下

平成18年9月6日、秋篠宮家のご長男、悠仁親王殿下がめでたくご誕生になった。

その瞬間を、私はテレビ朝日のスタジオで迎えた。


番組の中で、国民の1人として心からお慶びを表明する一方、これによって当時、せっかく盛り上がっていた皇室典範改正の気運が萎んでしまうことへの懸念に触れた。

それは、国民的な祝意に“水を差す”無礼な発言として、強く非難された。

しかし残念ながら、事態は私が心配した通りの推移を辿ってしまった。


鹿島茂氏が警鐘


その頃、私と同様、冷静に「危機的状況に変わりはありません」と、早くから警鐘を鳴らしていた1人に、フランス文学者の鹿島茂氏がおられた(「週刊文春」平成18年9月21日号)。


「昭和天皇の弟君は3人いましたが、秩父宮と高松宮には子どもが生まれませんでした。三笠宮は男の子を3人作られましたが、その次の世代は女の子ばかりです。大正天皇に男の子が4人いたにもかかわらずそうだったのです。


今回お生まれになった親王についても、まず結婚する、しないという分岐点があり、次に結婚しても子どもが生まれる、生まれないという分岐点があり、さらにその子どもが男か女かという分岐点があります。


それぞれの確率が50%としても、男の子が生まれるのは8分の1の確率になってしまいます。もし、親王さまが結婚して何年かたって、いざ子どもができないとなったらどうするのでしょう」と。


今やご結婚の確率は、国民女性にとって一層“ハードル”が高くなっているから、畏れ多いが、「50%」より大きく下がっているのではないか。


悠仁殿下のご誕生を“口実”に、皇位の安定継承への取り組みを先延ばしすれば、誰よりも殿下ご本人がお辛い境遇に立たされる結果になる―というのが、その当時、私が訴えていたポイントだった。


しかし今に至っても、政府は呆れたことに、もっと「先延ばし」しようと狙っている。

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