政府の(法令に基づかない)私的諮問機関として設置された有識者会議の皇族数確保策についての報告書。
皇位の安定継承という本来の課題を“先延ばし”して、無理筋で現実味のない、女性皇族と国民男性による世帯の創設と、憲法が禁じる「門地による差別」に該当する、特定の家柄の子孫(国民の中の皇統に属する男系の男子)だけ“特権的”に養子縁組その他の法的措置による皇籍取得を可能にするプラン(これは国民が対象なので「性別による差別」にも該当)を持ち出した。
それらへの簡略な批判は、既にプレジデントオンライン昨年12月15日1300時配信記事その他で述べたし、今後も詳しく展開するつもりだ。
ここでは、それ“以前”の最も初歩的な問題として、同報告書ではキーコンセプトであるはずの「男系」という概念がきちんと説明できていない事実を、指摘しておく。
実情に合わない「男系」の説明
報告書の「2.現行の皇位継承・継承制度の基本」に次のような一文がある。
「『男系』とは、父方のみをたどることによって天皇と血統がつながること」
これがもし正しい説明であると仮定した場合、歴代天皇に「男系」ではなかったケースも多く実在したことになる。
「父方」「母方」双方の血筋によって「天皇とつながる」ケースが多くあったからだ。
具体的にいくつか例を挙げると、以下の通り。
第29代・欽明天皇(母は第24代・仁賢天皇の娘)
第30代・敏達天皇(母は第28代・宣化天皇の娘)
第34代・舒明天皇(母は敏達天皇の娘)
第35代・皇極天皇(母は『本朝皇胤紹運録』によれば欽明天皇の孫の娘)
第36代・孝徳天皇(母は同上)
第38代・天智天皇(母は皇極=斉明天皇)
第40代・天武天皇(母は同上)
第42代・文武天皇(母は元明天皇)
第44代・元正天皇(母は同上)
…
これらは「父方のみ」でなく(!)「母方」でも「天皇と血統がつながる」実例だ。
報告書の説明では「男系」ではなかったことになる。
明治の皇室典範と齟齬
そもそも、明治の皇室典範には次のような規定があった(第39条)。
「皇族ノ婚嫁ハ同族又ハ勅許ニ由リ特ニ認許セラレタル華族ニ限ル」つまり、“皇族同士”の(又は天皇によって特別に認められた華族を相手とした)婚姻のみが許されていたのだ。
皇族同士の婚姻によって生まれたお子様は、当然、「父方のみ」でなく(!)「母方」でも「天皇と血統がつながる」。だから上記の説明では、その方は「男系」ではないことになる。
報告書の説明に基づけば、明治典範では「男系」でない皇族による皇位継承を当然の前提にしていた、という理解になる。
ところが、改めて紹介するまでもなく、明治典範の第1条はこのようになっていた。
「大日本国皇位ハ祖宗ノ皇統ニシテ“男系”ノ男子之ヲ継承ス」報告書の説明は、明治典範の「男系」概念と“明確に”齟齬していることが分かる。
更に報告書には、こんな文章もある。
「これまで歴代の皇位は、例外なく男系で継されてきました」しかし、上記の「男系」についての説明と、先にいくつか列挙したその説明に当てはまらない実例を踏まえる限り、このような命題は成り立つ余地がない。
男系についての説明を訂正するか、私が列挙した実例を確かな根拠をもとに全て否定するか、
命題を破棄するか。
実例を否定できない以上、説明と命題のどちらか、又は両方を捨て去るしか方法はない。
報告書は、わが国の“双系”的な伝統を度外視し、シナ流の男系絶対の先入観に基づいて説明を試みた為に(シナのような男系社会では「同姓不婚」が大原則なので、皇族同士の婚姻などあり得ない!)、初歩から躓き、歴史の実情とは全くかけ離れた認識に立脚するという、残念な結果になってしまった。
お粗末な話だ。
これでは、とても国会での議論の土台にならないだろう。