フランスの歴史人口学者・家族人類学者のエマニュエル・トッド氏。
古代日本の女性天皇について以下のような指摘をされている(『老人支配国家 日本の危機』)。
シナ文化への「日本の反発」
「もともと日本の家族は最も原始的な形態に近い双系制…の核家族だったと思われます。
それに対し、隣の中国では…早くから父系的な直系家族が成立しました。その権威主義的家族関係を倫理化したものが儒教です」
「(古代の)日本は文字を含め、中国から高度な文明を摂取する立場でした。当時の日本にとっては、中国の父系主義、男性を女性の上に置く社会構造も、先進的な文明の一部だったのです」
「平安時代以前の女性天皇には、中国から流入してきた父系文化、男性上位文化への、双系的な要素を多分に残していた日本の反発、反動、リアクションという側面があったのではないでしょうか」
男尊女卑に対する否定
飛鳥・奈良時代に多く現れた女性天皇の存在を、男系主義=男尊女卑的なシナ文化に対する、双系的な日本の「反発、反動、リアクション」として捉えているのだ。
これは、それまでの(シナ皇帝への従属的地位を示した)「王」号を止めて、新たに採用された(シナ皇帝への従属を拒絶する)「天皇」という称号が、シナ中心の国際秩序である冊封体制からの離脱、シナ文明圏からの政治的自立を意味していた事実(拙著『歴史から見た日本文明』ほか参照)と照らし合わせて、興味深い見解だろう。
拙著『「女性天皇」の成立』で述べた次のような指摘とも、問題意識の点で共通する。
「天皇号の成立は推古天皇の時代の出来事であり…日本において『王』を脱却した〈女性〉の君主が東アジアで初めて登場した事実自体が、シナの『男尊女卑』に対する強烈な“否定”だったとも言える」
シナ文明の男尊女卑的価値観の影響が大きかった東アジアにあって、わが国で“だけ”例外的に多くの女性君主(女性天皇)が現れた事実は、本来、女性尊重の伝統を持つ「日本らしさ」の表れだったと見ることができる。