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  • 執筆者の写真高森明勅

即位強制が可能と考える「保守」系こそ皇室の将来を危うくする


即位強制が可能と考える「保守」系こそ皇室の将来を危うくする

産経新聞(11月21日付)に掲載された論説に以下のような一文。


《ご即位を強制?》


「(眞子さまのご結婚を)『皇族にも人権がある』と擁護するメディアもあるが、この論理は、将来、仮に皇位継承者が自分の意思で即位を拒んだら、それも認めようという『即位拒否の自由』の議論につながりかねない」(八木秀次氏)と。


しかし、そもそも今のルールでは内親王に皇位継承資格が無く、その為にご結婚に際して皇室会議の関与も予定されていない。

元々、当事者の“自由意思”によることが前提とされているのだ。


従って、この度は一時金の不支給などの異例があったとはいえ、「皇位継承者」の場合にそのまま結び付けるのは、明らかに短絡と言わざるを得ない。

だが、それ以上に見逃せないのは、「仮に皇位継承者が自分の意思で即位を拒んだ」場合でも、即位を“強制”できると考えているらしいことだ。


《信頼と敬愛》


文中、「天皇と国民が相互の信頼と敬愛によって結ばれているという、歴史的に生成された一般的確信」を重視しているように見える。

だが、皇位継承者が「自分の意思で即位を拒んだ」場合でも、普通に即位が“強制”される状態で、果たしてそのような「一般的確信」を維持できるのか。


そのような条件下で、天皇や皇族は国民を信頼され、敬愛なさることができるだろうか。国民も、ご自身は「拒否」の意思を持ちながら、強制によって即位された天皇に対して、素直に信頼と

敬愛の気持ちを抱くことができるのか。


そもそも、皇室の方々に対して、最低限の「信頼と敬愛」があれば、皇位継承者ご自身の「意思」を端から“危険視”するような発想は、出て来ないはずだ。


皇室を担う方々の「人権」を全否定(!)して、それでも天皇・皇室を巡る制度がそのまま存続可能とタカを括る論者がいるのが不思議だし、その想像力の欠如に驚く。


なお記事には、この文章の書き手の「専攻は憲法学」とある。にも拘らず、取り上げているテーマに欠かせないはずの、天皇・皇室の「人権」を巡る憲法学上の学説状況が、全く視野に入っていないように見えるのは、どうしたことか。

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