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執筆者の写真高森明勅

晴天の下、若者達と一緒に皇居周辺を“気まま”に清掃奉仕


晴天の下、若者達と一緒に皇居周辺を“気まま”に清掃奉仕|神道学者、皇室、天皇研究者 高森明勅 公式ブログ


平成30年、久しぶりに皇居勤労奉仕を行うことができた。

学生時代だった昭和50年代に4回、勤労奉仕に参加させて戴いた。

それ以来だから、ほぼ40年ぶりのご奉仕。


《平成最後・令和最初に勤労奉仕》


高森稽古照塾の最古参の塾生の1人S君(男性)が団長になり、塾生有志(20代~30代)が主なメンバーに加わって、奉仕団を結成。平成最後のタイミングでご奉仕を行うことができた。


その時、上皇・上皇后(当時は天皇・皇后)両陛下からご会釈を賜った感激が、今も鮮やかだ。

特に上皇后陛下が、S団長の「日本神話」を巡るお答えに興味を示された場面は、深く印象に残っている。


翌年は、第1回のご奉仕で副団長を務めたKさん(女性)が団長。

令和で最初のご奉仕となった。当然、前回とは参加メンバーの入れ替えもあったが、若い諸君が奉仕期間の4日間、よく休みを確保できたものだと感心する。


ところが令和2年は、新型コロナ禍の影響で、宮内庁による勤労奉仕の受け入れ自体が大幅に縮小され、断念せざるを得なかった。そこで私の提案で、宮内庁とは関係なく、皇居周辺の清掃奉仕を独自に行うことになった。名付けて「気まま奉仕」。


前年の副団長を務めたIさん(女性)が団長で、様々な手配をしてくれ、無事に充実して行うことができた。


《コロナ禍の下での“気まま奉仕”》


今年も事情は同様なので、昨年に引き続きI団長を中心に、11月12日に「気まま奉仕」を実施した。幸い晴天に恵まれた。


それまで別の日に設定していた事前勉強会も、同じ日の午前中に好適な施設を借りて、私が2時間ほど話をした。敗戦後の占領下にどのようにして、新しく皇居勤労奉仕が始まったのか。その経緯をはじめ、皇室を巡る基本的な知識を分かりやすく伝えた。


「天皇陛下をはじめ皇室の方々は全身全霊を傾けて国民に寄り添って下さっている。果たして、国民の側はその皇室のお気持ちに誠実に応えようとしているのか」。


眞子さまがこれまで、内親王としてご熱心にご公務に取り組んで下さった事実も、そのご様子を伝えるお写真を多く収めた季刊誌『皇室』第72号を回覧しながら、紹介した。


最後に、「これから行う清掃奉仕は、国民として皇室の大きなご恩恵に僅かでもお応えしようとするものなので、そのつもりで精一杯やろう」と締め括った。


その後、昼食を挟んで、午後から夕方まで清掃奉仕。ペットボトルや空き缶、煙草の吸殻が多い。それからビニール傘も。いささか驚いたのは、お酒が空になった一升瓶を捨ててあったことだ。それらを千代田区清掃事務所に届けて、一旦解散。


《奉仕の意義を実感》


各自、銭湯に行くとか、懇親会前のゼロ次会(!)など。私は、シンガポールに嫁いだ長女がたまたま日本に帰っていて、今回の奉仕に飛び込みで参加していたので、一緒に近くの店に入って暫く時間を過ごした。その後、娘は日本での滞在先に戻り、私は懇親会へ。


懇親会の途中で、勤務を終えた初代団長のS君なども加わってくれて、大いに盛り上がった。


この日は、翌週(11月16日)発売の「週刊女性」に寄せたコメントをチェックする必要があったので、隙間を見てそれも済ませた。


I団長の報告では、奉仕に入る直前に勉強会を組み込んだことで、奉仕の意義を強く実感しながら清掃できたのがとても良かった―という感想が、参加者から多く寄せられたそうだ。


翌日は高森稽古照塾。


だから、2日続けて顔を会わせたメンバーが何人もいた。特にI団長は、塾の今期の世話役(リーダー)なので、塾の後の懇親会も仕切ってくれた。Iさん、2日連続でお世話様でした。有難う。

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