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執筆者の写真高森明勅

日本における民主主義の前提条件としての「天皇」という視点


日本における民主主義の前提条件としての「天皇」という視点

改めて言うまでもなく、民主主義には多数決が欠かせない。 多数決が、民主主義の最も重要な支柱の1つであることは、疑う余地が無いだろう。


議会を構成する議員を選ぶ選挙が、多数決に基づくことは改めて言うまでもない。 多数の票を獲得した候補者が議員の資格を与えられ、少数の票しか獲得できなかった候補者は議員になることができない。議会では、そのようにして選ばれた議員が一堂に会して審議を尽くし、最後には多数決による議決で法律や条例を定める。

民主主義における多数決の重要さは明らかだ。


しかし、立ち止まって考えてみると、多数決は無条件に成立するものではない。いくつかの前提条件が整っていることが必要だ。その前提条件については、日本国憲法の運用を支える標準学説の形成に大きな貢献をされた、憲法学者の清宮四郎氏の整理があって、有益だ(「多数決の前提条件」、『憲法と国家の理論』講談社学術文庫に収録)。

差し当たり、その項目名だけを列挙する。


《多数決を成立させる前提》


1 1つの全体として、一定の組織をもった集団が存在すること 2 集団の全構成員または少なくとも一定数以上の構成員が意志形成に参加すること 3 すべての参加者に対して、意見表明、討論および表決の自由が認められること 4 すべての参加者に同等の資格が認められること 5 決定すべき問題について、集団構成員の間に意見の対立が存すること 6 対立する意見のうち、どれが正しいかを判定できないこと 7 参加者の間に、意見の対立が見られても、根底において、精神的同質性または共通性が存在すること 8 多数決の結果の承認および信頼が存在すること 9 多数は少数を、少数は多数を、互いに尊重すること 10 少数も多数になる可能性が存在すること


《国民的連帯性という条件》


よく行き届いた整理の仕方だろう。 詳しくは当該論文に直接、当たって欲しいが、ここでは特に7番目の条件に注目したい。

この点について、清宮氏は次のように述べておられた。


「多数決が行われるためには、その前提として、参加者の間に、意見の対立は見られても、いわゆる精神的同質性…または共通性が存在し、『たがいの間の歩みよりまたは共存』の可能性がなければならない。多数決によって問題を解決しようとする集団においては、『各成員間の意見の対立にもかかわらず、しかも“その根源においては”基礎的な利益の同質性が、すなわち、たとえば国にあっては国民的利益や国民的連帯性の共通的な認識といったものが、大前提となっていなければならぬ』。…


階級対立のはげしい社会においても、なおそこに、全体の立場が考えられ、根底における同質性が認められる場合は、多数決による問題解決の余地は残される。さもなければ、議会民主制も行われえない。


…露骨な階級対立の立場をそのまま議会に持ち込む場合は、多数決による問題解決は不可能であるといわねばなるまい。議会民主制における多数決による平和的調停なるものは、国民全体の立場からの何らかの共通点が認められなければ実現の望みはなくなるであろう」


《国民統合の象徴》


ややもすれば見落とされがちな、大切な指摘だろう。 上記の条件が決定的に欠けていたら、少数派は多数決による決定を「平和的」には受け入れ難いはずだ。


では、具体的にわが国において、個別の「意見の対立」を超えた「国民的連帯性の共通的な認識」「国民全体の立場からの何らかの共通点」を可能にする上で、軽視できない条件とは何か。

それこそ正に「国民統合の象徴」である「天皇」であろう。

国民の基底的な統合という条件が備わっていなければ、民主主義が健全に機能することは至難だ。

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