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  • 執筆者の写真高森明勅

悲しみの雨か、眞子殿下が昭和天皇・香淳皇后の御陵にご参拝

更新日:2021年10月14日


悲しみの雨か、眞子殿下が昭和天皇・香淳皇后の御陵にご参拝

10月12日、秋篠宮家のご長女、眞子内親王殿下が、ご結婚のご報告の為に東京・八王子の武蔵陵墓地を訪れられ、昭和天皇と香淳皇后の御陵(武蔵野陵・武蔵野東陵)にそれぞれご参拝になられた。ご本人のご希望によるという。


当日は雨が降っており、傘を差されて御陵の前までお進みになられた。眞子殿下のお気持ちを拝察すると、涙が溢れそうになる。


《「サウンド・オブ・ミュージック」で祝福》


平成17年には、天皇陛下の妹宮でいらっしゃる紀宮(のりのみや、清子〔さやこ〕内親王)殿下

(現在は黒田清子様)がご結婚されている。


当時、眞子殿下は中学校2年生でいらした。

その時の祝福と慶びに満ちた輝かしい場面を、鮮やかに覚えていらっしゃるはずだ。紀宮殿下は、同年10月6日の午前に昭和天皇・香淳皇后の御陵を参拝され、ご結婚の報告をなされた

(同日午後には、皇族方の墓所がある豊島岡墓地もご参拝)。


この日、宮内庁で皇室経済会議が開かれ、皇籍離脱に伴う一時金(1億5千250万円)の支出が決定した。翌日には、皇居内の桃華楽堂で、ご結婚を祝福する、宮内庁楽部による洋楽演奏会が催され、紀宮殿下は「サウンド・オブ・ミュージック」など9曲を鑑賞された。

お隣に皇太子・同妃両殿下(現在は天皇・皇后)が座られ、言葉を交わされながら、ご一緒に盛んに拍手を送られた。ご兄妹のお幸せな時間が流れた。


《ゆかりの人々を招いた茶会》


13・14両日、各宮家に挨拶回りをされて、お別れをされた。

26日には、天皇・皇后両陛下(現在は上皇・上皇后)主催の茶会が皇居・宮殿で開かれ、紀宮殿下ゆかりの人々が約70人集まった。

紀宮殿下が例年、出席されていた「少年の主張全国大会」の主催団体の代表がお祝いの挨拶をした後、一同が「おめでとうございます」と声を合わせた。茶会は11月7日まで計4回行われている。


ご結婚の3日前の12日、十二単(ひとえ)のご装束に、髪は大垂髪(おおすべらかし)の古式ゆかしいお姿で、宮中三殿に恭しくご拝礼をされた(賢所・皇霊殿・神殿に謁するの儀)。同日、宮殿で天皇・皇后両陛下(当時)にお別れの挨拶をされる「朝見の儀」に臨まれた。


《「朝見の儀」でのお言葉》


「今日(こんにち)までの長い間、深いご慈愛の中でお育ていただきましたことを心よりありがたく存じます。ここに謹みて御礼申し上げます」と、一言一言を確かめるように述べられた。


天皇陛下からは「二人で力を合わせて楽しい家庭を築き、社会人としての務めを果たしていくよう願っています。二人の幸せを祈ります」との祝福のお言葉を賜った。


11月15日、帝国ホテルで行われたご結婚式では当時、伊勢神宮の大宮司だった北白川道久氏(元皇族)が斎主を務めた。式後、(披露宴の前に)一旦、皇居に戻られた両陛下は、宮殿で小泉純一郎首相(当時)をはじめ三権の長からお祝いを受けておられる。…


《せめて宮中三殿へのご拝礼は恙無く》


紀宮殿下は皇女、つまり直系の内親王でいらした。その点、傍系の内親王の眞子殿下とは、同じ内親王でもお立場がいささか異なる。しかし、直近の内親王のご結婚のご様子と比べると、余りの隔たりに胸が締め付けられる。


秋篠宮家が一連の儀式を行われないのであれば、今上陛下もご本心はどうあれ、お立場上「朝見の儀」を差し控えられざるを得ないだろう。しかし、せめて大切な「賢所・皇霊殿・神殿に謁するの儀」は、恙無く行われることを願ってやまない。


追記


眞子殿下が昭和天皇などの御陵に参拝された同日の午後、赤坂御用地の赤坂東邸で、駐日ブラジル大使からリオ・ブランコ勲章大十字型章が贈られた。平成30年に日本人移住110周年に際して同国を訪問され、両国の友好関係増進に貢献された為。大使からはご結婚を祝福する言葉もあったという。ブラジル連邦共和国のこの配慮は嬉しい。

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