
かねて皇位継承における「男系」限定の維持を強く主張して来られた麗澤大学教授の八木秀次氏。
一時、「神武天皇のY染色体」論を振り回して顰蹙を買ったことも。今回はこんな発言をされている(「週刊新潮」9月23日号)。
《「ご結婚の自由」への批判》
「眞子さまのご結婚は、佳子さまのみならず、将来の皇位継承にも悪影響を及ぼす恐れがあります。眞子さまにご結婚の自由を認めた以上、悠仁さまの即位についても自由意思を認める事態になりかねないからです。…悠仁さまが即位されたくないというご意思を表明された場合、それを認めないわけにはいかなくなります」と。
例によって、奇妙な発言をされている。
先ず、「眞子さまにご結婚の自由を認めた以上…」と述べておられる。あたかも「結婚の自由」を認めない選択肢があり得たかのような表現だ。しかし、今の皇室典範のルールでは、女性皇族に皇位継承資格を認めていない。同氏はそのルールを全力で守ろうとされている側だ。
そのルールを前提とすれば、未婚の女性皇族は国民男性とのご結婚と共に、皇族の身分を離れられる。その為に、皇位継承資格をお持ちの男性皇族の場合と違って、そのご結婚に当たって、皇室会議は関与しない。
これは勿論、眞子内親王殿下の特例ではない。
女性皇族の皆様に共通した仕組みであり、皇位継承資格を認めないのだから、憲法上、当然のことだ(ルールを変更して、内親王・女王にも皇位継承資格を認める場合は、ご結婚後も皇族の身分に留まられるから、皇室会議の同意が必要となる)。
《皇位継承と自由意思》
次に、「(未婚の女性皇族に)ご結婚の自由を認めた以上、悠仁さまの即位についても自由意思を認める事態になりかねない」と粗雑な推論を展開されている。
しかし、これまでのルールに従って、眞子殿下に「ご結婚の自由」を認めたからと言って、皇位継承資格を持つ男性皇族のご結婚に、皇室会議が関与しなくなる訳ではない(勿論、皇室会議は当事者のお気持ちを極力、尊重すべきだが)。
皇室典範が改正されない限り、当たり前だ。
ましてや、皇位の継承に当事者の「自由意思」が介在し得るか否かという、“世襲”の“象徴”天皇制度の根幹に関わる問題に、僅かでも影響を与えるはずがない。
これ又、当たり前の話だ。
更に、最も驚くべきは、(眞子殿下の一件が無ければ)悠仁殿下が「即位されたくないというご意思を表明された場合」にでも、ご即位を“強制”できると考えているらしいことだ。
人道上、そんな暴挙が許されるはずがないし、ご即位を強制された天皇に対して、一体、誰が心から敬愛の念を抱くことができるだろうか。
《ご即位の強制はあり得ない》
八木氏はご存じないようだが、そもそも今の制度のままでも、「自由意思」によるご即位の辞退は可能とされている。
「皇嗣であっても皇室典範第3条により『…重大な事故があるときは、皇室会議の議により、…皇位継承の順序を変えることができる』と定めていることから、例えば仮に皇嗣が皇位の継承を拒否するという意思表示を公の場で行った場合が『重大な事故』に当たると解することが可能であれば、皇嗣は自らの意思により皇位を継承しないという選択を行うことが可能になると解されることになる」(園部逸夫氏『皇室法概論』)
残念ながら、先に引用した八木氏の発言は、その全てが間違いと言わざるを得ない。
それにしても、皇族の身分を離れられる方の「ご結婚の自由」すら認めない、ご即位を強制して当たり前―という頑なな思考態度は、無知という以前に、皇室への最低限の敬意すら欠けていると言わねばならない。
悠仁親王殿下は9月6日のお誕生日で15歳になられた。
15歳以上であれば、男性皇族でも「王(天皇の曾孫以下の子孫)」の場合は、法律上、ご自身の「意思に基づき」(皇室会議の同意を得て)皇族の身分を離れられることが可能だ(皇室典範第11条第1項)。
「親王」の場合でも、もし強いお気持ちがあれば(典範同条第2項の適用により、こちらは年齢に関わりなく)必ずしも不可能とは言えないだろう。
追記
9月27日に届いた『Will』11月号(毎号、寄贈戴いて感謝)に「皇族に恋愛の自由はない」という対談記事(竹内久美子氏・橋本琴絵氏)が載っている。
論評以前の、ほとんど正気を疑う内容。「保守」系はいつ頃から、皇室の方々を“奴隷”のように見下して平然たるまでに、劣化したのか。