• 高森明勅

佐藤優氏は天皇・皇室が滅びて無くなることを望んでいるのか


佐藤優氏は天皇・皇室が滅びて無くなることを望んでいるのか

多くの著書を持ち、様々なメディアにも露出されている作家の佐藤優氏。

皇位の安定継承を巡り、以下のような発言をされている(『週刊新潮』9月16日号)。



《佐藤氏の神風主義》


「側室制度のないところで、男系を維持するのは困難ですが、(側室制度は)もう作れません」


「私は男系維持の方に傾いているのですが、なぜかといえば、このシステムの中に女系が入ってくる理屈が人権の思想だからです。人権の思想を皇室に入れた場合、それが部分で済むのかという問題があります」


「(旧宮家案を支持するかと言えば)そうではないんですね。これは非常に無責任な言い方かもしれませんが、明日できることは今日考えない」


「ギリギリの状況になったところで、とりあえずは緊急避難的に女帝を認め、女系を容認するか、男系を維持して旧皇族を宮家に戻すのかを考える。まあ、一種の神風主義ですけれども」


《見え透いたすり替え》


佐藤氏が「男系維持の方に傾いている」理由は「女系が入ってくる理屈が人権の思想だから」と言う。分かりやすい“すり替え”だ。


女性・女系天皇の「容認」すべき理由は、改めて言うまでもなく、側室が不在で非嫡出(非嫡系)の皇位継承資格が否認された条件下で、皇位の安定継承と皇室の存続を望むなら、わが国本来の伝統にも叶っており、他に選択肢が無いからだ。


佐藤氏本人も「側室制度のないところで、男系を維持するのは困難」と認めているではないか。


男系限定を維持していれば、たとえ「旧宮家案」を採用しても、皇位の継承自体が行き詰まるのは避けられない。

だから、その“限定”を見直そう、という至ってシンプルな考え方。

「人権の思想」とは元々次元が違う話だ(中には「人権の思想」を持ち出す論者もいるかも知れないが、問題解決へのロジックとしてはメインではない)。


《当事者の人生》


政府・国会が、「明日できることは今日考えない」という姿勢で“先延ばし”を続けて、既にどれだけの歳月が流れたか。

その間、ご自身の将来が見通せない状態に置かれ続けている、当事者の方々の掛け替えの無い人生への配慮が僅かでもあれば、こんな「非常に無責任な」「神風主義(平素、自分は無為怠惰でいても、いざとなれば誰か他人の力で“神風”が吹いて、良い結果をもたらしてくれるだろう、という安易で自堕落な態度)」で事態をやり過ごすなんて非人道的(!)な振る舞いは、決してできないはずだ。


しかも、未婚の女性皇族方がご結婚を目の前に控える年齢になられて、局面はとっくに「ギリギリの状況」に突入している。


なお、佐藤氏はクリスチャンのようだが、新約聖書「マタイによる福音書」第6章第34節に次のようなイエスの言葉を収めている。


「明日ことは思い煩うな。明日のことは明日、自身が思い煩うであろう。1日の苦労は、その日1日だけで十分である」と。


しかし、このイエスの言葉は、佐藤氏の上記の発言を補強するものではなかろう。

むしろ、氏の場合はイエスの言葉の誤った援用の仕方ではあるまいか。

そうでなければイエス自身も「神風主義」者だったことになる。

念の為。

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