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  • 執筆者の写真高森明勅

天皇から見捨てられない程度には国民が配慮すべきという指摘


天皇から見捨てられない程度には国民が配慮すべきという指摘

リベラル系の憲法学者の木村草太氏が次のような指摘をされていた。


「現在の皇室典範は、皇位継承順位を持つ人が極めて少なくなるように作られています。

天皇の子どもであっても、女性だというだけで排除される。子どもの数は限られていますから、数人が拒否すれば、皇位継承者は途絶えてしまう。


天皇から見捨てられない程度には、国民は天皇に配慮するような状況でないと成り立たない。

そんな制度として、日本の天皇制は作られている。

こうして考えてみると、日本の天皇制は、人間性から生じる問題に対して極めて脆弱な制度として、あえて作られているのではないかという見方もできます。

国民の皆さんは、天皇に見捨てられないレベルの国民でいてください。天皇も安易に国民を見捨てないレベルの徳を持っていてください。そんな前提で作られている。


道路交通法のように、ほっとくと悪いことをする人がいるだろうという前提で作られていない。

女帝について、私は基本的にそれを認めるべきだと考えています。ただ、平成の天皇が退位するときに、右派とされる方々が、『天皇はこうあるべき』に拘泥して、天皇の体調にすら配慮しない議論を展開するのを見ていて、『犠牲者をできるだけ減らすためには、女系を認めない方がいいのではないか』という思いも生まれました」(『むずかしい天皇制』)


一般には、余り気付かれない視点だろう。

しばしば「右派とされる方々」ほど、天皇・皇室の存在それ自体を自明視して、僅かな敬意も感謝もなく、その将来を真剣に心配することも稀なようにみえるのは、残念だ。


「天皇から見捨てられない程度には…」という発想は微塵も無いだろう。

「我々が天皇を見捨てることはあっても、天皇が我々を見捨てることは絶対ない」という、すこぶる手前勝手な甘えの上で、ただ胡座(あぐら)をかいているだけではないか。 

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