社会学者で、アカデミズム以外の場でも活発な発信を続けている大澤真幸氏。
「天皇制」とデモクラシーの関係について興味深い発言をしておられる。
「我が国において天皇制は、結果的に、しかも意図せざるかたちで、デモクラシーを支える最後の砦のようなものになっています。
今、世界を見渡すと、デモクラシーは危機の中にある。
しかし、日本は、天皇制があるおかげで、目下、世界の多くの国々を苦しめている共通のデモクラシーの危機から免れているのです。…
デモクラシーにもとづく集合的な意思決定をしたとしても、その結論に全員が賛成しているわけではありません。
…にもかかわらず、全員がその決定に従うのがデモクラシーです。
どうして、私が反対していることが決まったのに、私はそれに従うのか。…
それは、デモクラシーには、デモクラシー以前の合意というものがあるからです。
それは、私と意見が異なる人たちも、私を含むみんなのことを考えて、そのような意見を言っている、という前提です。
だから、私は、自分の意見と異なることでも、デモクラティックに決定されたことに従うわけです。…
現在、問題なのは、多くの国の内部で、『デモクラシー以前の合意』が成り立たなくなっている
ということです。
たとえば、アメリカ人の中に、トランプ大統領のことを『われわれの』大統領だと受け入れる気がしない人がたくさんいる。…
アメリカ社会に、デモクラシーそのものを可能にするための基本的な合意が失われつつある。
しかし、日本はそうならずにすんでいます。
その原因のひとつ、しかも最大の原因は天皇制にある、と僕は見ています。
天皇が存在し、それを承認しているということが、『われわれ(日本人)』の間に最小限の合意がある、ということの印になっている。…
天皇を皆が承認しているということが、『われわれ』の間に、デモクラシーを危機に陥れるほどの分裂は存在していない、ということの保証になっているわけです」(『むずかしい天皇制』)。
これまで、ややもすると「天皇制」とデモクラシーは対立的にのみ捉えられる傾向が強かった。
しかし、デモクラシーを成り立たせる為には、社会のメンバーに政治的な意見の違いはあっても、お互いの「最小限」の信頼感、仲間(=「われわれ」)意識、つまり「デモクラシー以前の合意」が必要不可欠だ。
そこが崩れると、デモクラシーは健全に機能しなくなり、危機に陥る。
その点、日本の場合は、天皇と皇室の存在(「天皇制」)こそが、デモクラシーの基底を支える信頼感、「われわれ」意識を裏付ける「最大の原因」になっている、という見方だ。
同氏のトータルな意見はともかく、少なくともこの点についての指摘には、傾聴すべきものがあろう。
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