皇位の安定継承を目指す有識者会議のヒアリングでは、男系限定派を代表する理論的指導者で憲法学者の百地章氏に直接、旧宮家案が憲法で禁じられた「門地による差別」に当たるという疑義を、会議メンバーが問い質しておられる(令和3年5月10日、第4回会合)。
百地氏の答えは以下の通り。
「非常に難しい問題だが…まず、国民の権利・義務を定めた憲法の第3章は、あくまでも国民に適用する原則であり、皇室については男女平等の例外として適用されない(男女平等に限らないだろうー引用者)。
…そこで考えるに、旧皇族の方々は純然たる国民と言えるのかという、そういう疑問がある。 もともと皇室典範第2条の2項に当たる方々(天皇のご長男からオジ〔伯父・叔父〕およびその子孫に至る血縁よりも更に遠い系統ー引用者)として位置付けられた方々である。
だから、法理論的には少しハードルがあるかもしれないが、私は潜在的に皇位継承権を持っておられる方と見ていいのではないか、あるいは直系の皇統の危機だからこそ、まさにそういう考え方ができるんじゃないかと思う。
そうすると、この方々は、一般国民とはやや違った立場にいらっしゃる方々であるから、特別な扱いがなされても良いのではないかというふうに理解している」と。
ご自身も「非常に難しい問題」「法理論的には少しハードルがあるかもしれない」と認めておられるように、かなり苦しい説明になっている。
まず、「皇室典範第2条の2項に当たる方々として位置付けられた方々」というのは、勿論、昭和22年にいわゆる旧宮家が皇籍を離脱されるまで、“実際に”皇族だった方々=「旧皇族(元皇族)」に限られる。
そうすると、皆様、天皇陛下より10歳以上お年を召された方々ばかり。
だから、“将来の”皇位継承の安定化に寄与することは、期待し難い。
しかも、それらの方々も一旦、皇族の身分を離れられた以上は、皇位の継承資格を「皇族」に限定している皇室典範の規定(第2条)に照らして、「皇位継承権を持っておられる」とは、到底、言えないはずだ。
そこに「潜在的」という恣意的な概念を持ち込むと、典範が厳格に規定する継承資格が事実上、骨抜きになってしまい、皇位継承の純粋性が失われ、皇位それ自体の尊貴さを大きく損なう恐れがある。
現に、同氏は旧宮家の元皇族だった方々の子供や孫以下の(“典範第2条の2項に当たる方々”とは言えない)世代にまで、「継承権」を拡大して(!)認めようとされているように見える(そうでなければ、前述の通り安定継承への議論には繋がらない)。
更に「直系の皇統の危機だからこそ」と言われるが、だからといって、憲法が定める“国民平等”の原則を蔑ろにしてよい理由にはならない。
しかも男系限定派には、「皇位継承についてはこれから何十年間も安定した体制の中にある」 (櫻井よしこ氏、令和3年4月8日、同会議・第2回会合)という、頭から「危機」を認めない「考え方」もある。
そうした、同じ男系限定派の中でさえ、個別の論者で意見が分かれるような認識をもとに、憲法上すこぶる重要な意味を持つ基本的人権を巡り、「特別な扱いがなされても良い」と考えるのは危険ではあるまいか(たやすく人権を軽視する解釈にも繋がる虞れがある)。
そもそも憲法が、第1章の適用を受け、皇統譜に登録される天皇・皇族と、第3章の適用を受け、戸籍に登録される国民とは又“別に”、「一般国民とはやや違った?立場(“純然たる国民”ではない?人々)」という不可解なカテゴリーを認めていると想定すること自体、無理がある(だけでなく、そうした発想そのものが“門地による差別”を招きかねない)。
ご結婚によって皇籍を離れられた元内親王・元女王、あるいは国民の中に広範に存在する、旧宮家系以外の皇統に属する男系子孫の人々は、どのように“線引き”するつもりなのか。 政府は、当たり前ながら、次のような見解だ。
「憲法上で言えば、(皇籍を離脱して民間人となられた元皇族およびその子孫は)当然、第3章が規定する基本的人権を享受する主体という意味で、そういう者(憲法における国民)にあたる」 (内閣法制局・近藤正春長官、令和3年2月26日、衆院予算委員会第1分科会)と。
男系維持派の代表的論客でしかも憲法学者(!)の百地氏でさえ、このように説得力を欠く(あまつさえ差別を招きかねない)回答しかできなかった。
この事実は軽視できないだろう。
改めて言うまでもなく、憲法違反の疑いがある形での皇族身分の取得なんてことは、皇室の尊厳と憲法秩序への信頼感を傷つけない為に、決してあってはならない。