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  • 執筆者の写真高森明勅

「保守」の離婚・廃太子論


「保守」の離婚・廃太子論

「保守」の離婚・廃太子論


「保守」知識人の中には、もはやバッシングの域を超えた、無礼・不敬の極みというべき暴論を吐いたケースもあった。平成時代、天皇・皇后両陛下(当時は皇太子・同妃)の離婚を公然と唱え、もし離婚されない場合は皇位継承順位の変更(事実上の廃太子)もあり得ると、恫喝したのだ。


皇后陛下がご療養の為に、皇室祭祀に十分、携わることが困難なのが、理由とされていた。

ほとんど正気を疑うレベルと言う他ない。


「ここで考えておかねばならない事態がある。いずれ遠からぬうちに訪れる御代代わり(ママ、替わり)という事態である。その時、宮中祭祀を受け入れられないまま雅子妃が皇后になったら、どうなるのか」


「ここであえて議論を起こしたい。皇太子ご夫妻(天皇・皇后両陛下)の離婚問題についてである」


「(皇室典範は皇后の離婚を想定していないので)御代代(替)わりが起こった後ではもはや離婚はできない」


「だが、『一生全力で守ります』という言葉で雅子妃にプロポーズされた皇太子殿下(天皇陛下)が離婚という事態を受け入れるとは思えない」


「宮中祭祀を守る立場から、皇室典範第3条にある〈重大な事故〉を拡大解釈し、皇位継承権(ママ、皇位継承順位)第1位の座を皇太子殿下(天皇陛下)から秋篠宮殿下に移そうとの議論が生じてもおかしくない」


「今は雅子妃のご快復を願う。だが、一皇太子妃のご病状快復と…宮中祭祀が天秤に掛けられるようであれば、離婚ないし皇位継承権(ママ、皇位継承順位)の変更を想定せざるを得ない事態になると思われる」(八木秀次氏、『SAPIO』平成19年5月9日号)


そもそも皇室祭祀は、天皇が皇祖・皇宗への恭敬の誠をお尽くしになる神聖なご作法であって、国民があれこれ注文すべき筋合いのものではない。それを「天秤に掛け」るなんぞ、僭越の沙汰も甚だしい。その皇室祭祀を名目に振りかざし、条文の「拡大解釈」(!)すら敢えて行ってでも、天皇陛下を廃太子に追い込もうとした執念は、ほとんど病的だろう。


更に皇后陛下に対し、傲慢にも「一皇太子妃」(改めて言う迄もなく、この場合の“一”は「取るに足りない」という含意)と言い放つ感覚には、言葉を失う。同じ国民として、心の底から恥ずかしく、申し訳ない。


しかし、このような暴言が今後も、二度と繰り返されない保証は、どこにも無いのだ。

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