古事記の「倭」という表記
古事記には「日本」という言葉が一度も登場しない。全て「倭」だ。これは何故か。重大な問題のはずなのに、従来さほど注目されて来なかった。
同書が成立した和銅5年(712年)には、既にわが国の国号は「倭」から「日本」に改まっていた(訓読みはどちらもヤマト)。『令集義(しょうのしゅうげ)』公式令(くしきりょう)「詔書式」条に引用する『古記(こき)』(天平10年=738年頃の成立)が、更に『大宝令(たいほうりょう)』(大宝元年=701年の施行)の条文を引いている。
そこに「日本」国号が見えている。従って、「日本」国号の“下限年代”をここに押さえる事が出来る。にも拘らず、古事記は「倭」という表記で統一した。神武(じんむ)天皇は「神“倭”伊波礼ビ(田+比)古命(かむやまといわれびこのみこと)」であり、ヤマトタケルノミコトは「“倭”建命」。
『日本書紀』(養老4年=720年に成立)が「日本」で統一しているのとは正反対だ。しかし、実は理由は簡単。『古事記』の本文そのもの(少なくともその多くの部分)は「日本」国号が成立する“前”に書き上げられていた。それを最終的に「撰録」した太安萬ロ(人+呂)(おおのやすまろ)が極力、原文を尊重しながら(訓み方を知る手助けとなる注記を補足するなどして)完成させたからだ。しかも興味深い事実がある。
『古事記』は周知の通り、「天皇」という君主号は普通に使っている。つまり「天皇」と「倭」が併用されていた。これは、一部の学説が主張する、「天皇」号と「日本」国号が“同時”に成立したという見方を、厳しく否定する。「天皇」は「日本」に先んじて成立した。『古事記』はその事実をはっきりと指し示している。