先に「天皇は『国民』か?」という問題を提起した。結論は勿論(もちろん)、国民にあらず。では次に、「天皇は『君主』か?」という問いに、多くの人々はどう答えるだろうか。
「天皇は国の『象徴』」という説明は、学校その他で耳にタコができるほど聞いているに違いない。しかし、“君主かどうか”について自信を持って回答できる人は、意外と少ないのではあるまいか。恐らく、漠然と「象徴だから君主ではないのだろう」という受け止め方をしているのではないか。
しかし、「象徴」と「君主」は勿論、二者択一の関係にはない。と言うより、君主“だからこそ”象徴たり得る、という考え方も可能だ。以下、模範解答の一例を掲げる。
「一般に、君主の地位については、①独任機関であること、②多くの場合、特別身分に属する者が世襲制の原理に則(のっと)って就任すること、③統治権の一部を担うこと、④対外的な代表権をもつことといった標識が重視されてきた。しかし、これらのもつウエイトは決して同じではないことに注意する必要がある。というのも、君主の権限に着目した場合の二要素(③④)は、身分に着目した場合(①②)とは異なって、制限君主制のあり方とともに変化しており、その地位のとらえ方はかなり違ってくるからである。
したがって、(a)その権限が強大であった時代の古典的な君主と、(b)立憲君主制の下での権限が名目化した現代型の君主とでは、その概念を区別して考えることが適切であろう。
この後者(b)の場合においては、『君主』概念の重点は、憲法上の権限より、むしろ地位・身分にかかわる要素ーー前記の①と②ーーに置かれるが、これによれば、天皇は現代型の君主に相当することになり、その意味で日本は立憲君主国ということになる」(大石眞氏『憲法講義Ⅰ 第2版』平成21年、有斐閣)
歴史上の天皇の実際の在り方を見ると、政治の「権限」から離れていた時代の方が、
むしろ長い(引用文中の“〔a〕古典的な君主”だった時期は限定的)。
その意味では、日本の天皇は古くから、世界における「(b)現代型の君主」の“先駆的存在”だった、と言えるのではないか。上皇陛下ご自身も、以下のように述べおられた。
「日本の皇室は、長い歴史を通じて、政治を動かしてきた時期はきわめて短いのが特徴であり、外国にはない例ではないかと思っています。政治から離れた立場で国民の苦しみに心を寄せたという過去の天皇の話は、象徴という言葉で表すのに最もふさわしいあり方ではないかと思っています」(昭和59年4月6日)
「天皇が国民の象徴であるというあり方が、理想的だと思います。天皇は政治を動かす立場になく、伝統的に国民と苦楽をともにするという精神的立場に立っています」(昭和61年5月26日)ー