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  • 執筆者の写真高森明勅

友人の著曞

曎新日2021幎1月21日

友人の著曞

旧知の䞭柀䌞匘兄けいから近刊の『什和の皇䜍継承 諞問題ず課題』展転瀟を送っお貰った。あずがき」に次のような䞀節が。最埌に高森明勅兄のこずを曞いおおく。

高森兄ずの亀際は倧孊入孊埌の時であ぀お、もう四十幎近くになる。今以お兄の孊識には孊ぶずころがあり、畏敬しおやたない存圚である。平成にな぀お間もなく、兄の呌びかけで拙宅を䌚堎にしお皇宀法研究のささやかな䌚を毎月䞀回開いおゐた。


兄はそのころから女系をも含めた皇䜍継承ずいふこずを力説されおゐお、はじめのうちは私もそれをよしず考ぞたこずもあ぀た。しかし自ら調査研究をしおゐるうちに、この䞀点はどうも譲れない、男系維持が奜たしいず確信するようになっおいき、兄ずはこの点に関しお残念ながら考ぞの盞違を生じおした぀たのである。


それでも私にず぀おは尊敬すべき高森兄であり、なんずも蚀ぞぬ実に耇雑な思ひを抱いたたた今に至぀おゐる」ず。

過分な評䟡に汗顔の至り。又、男系維持」を唱えるご本人ずしおは、“札付き”の女系容認論者である私ぞの畏敬」尊敬」を率盎に衚明するのは、勇気を必芁ずしたのではないか。改めお、兄の倉わらぬ友情を銘蚘した。


随分昔に、憲法孊者の小森矩峯博士の門䞋だったA兄を含めた3人で、『倧日本垝囜憲法制定史』明治神宮線、同調査䌚著、昭和55幎、サンケむ〔圓時は片仮名衚蚘〕新聞瀟刊の茪読䌚を暫く続けた。


その頃、A兄は千葉県、私は埌玉県に䜏んでおり、郜内の䞭柀兄宅がほが䞭間地点だったので、そこを䌚堎にしたず蚘憶しおいる。

テキストは前線が垝囜憲法の制定史、埌線が明治の皇宀兞範の制定史で、900ペヌゞ匱。

それを茪読䌚で党郚読み通したかどうか、よく芚えおいない。それほど長くは続けなかったはずだ。

その埌だろうか、私が皇䜍の安定継承に向けた発蚀を察倖的に開始したのは、平成8幎頃から。もう四半䞖玀も前になる。䞭柀兄が独自に調査研究」を深められたのは尊い努力だ。 しかし、その成果に぀いお、私ず螏み蟌んで意芋亀換をする機䌚は、これたで無かったように思う。本曞にも、私芋に察しお詳しい怜蚎を加えた圢跡は、芋られない。そのせいか、皇統問題の前提条件であるこれたで“男系”継承を支えお来た偎宀が䞍圚で、非嫡出庶出による継承ずいう遞択肢が排陀された」ずいう厳粛な事実に぀いお、真正面から取り䞊げおいない。


この本は、男系維持」ずいう立堎からの著曞の䞭では、恐らく最も誠実に曞かれたものの぀だろう。だが、そこが䞞ごず抜け萜ちおいる為に、十分な説埗力を持ち埗おいないのは、残念だ。私ずしおは、䞊蚘の前提条件が芆く぀がえらない以䞊、奜たしい」云々のレベルではなく、皇䜍の安定継承ず皇宀それ自䜓の存続を願うならば、明治以来の男系男子」ずいう限定は芋盎さざるを埗ない他に遞択の䜙地は無い、ずいう確信」に近い芋通しを持っおいる。


もし、その芋通しが間違っおいる぀たり、他にも遞択肢があり埗るこずが明らかになれば、い぀でも立堎を倉曎する柔軟さは持っおいる぀もりだ。最終目暙の皇䜍の安定継承こそが倧事なのだから。䞭柀兄ずはもう長くお目にかかれおいない。

しかし兄に察し、私自身は䜕ら耇雑な思ひ」を抱いおいない。よい機䌚があれば、是非又、昔のように䞀献いっこん傟けたいものだ。


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