• 高森明勅

高峰秀子の「8月15日」

最終更新: 10月31日

高峰秀子の「8月15日」


往年の国民的大女優、高峰秀子。

その美貌と演技力から、日本映画史上最高の名女優との評価もある。

代表作は「二十四の瞳」「浮雲」「喜びも悲しみも幾年月」「名もなく貧しく美しく」など。


彼女が終戦を迎えたのは二十歳の頃。

8月15日は、軍慰問用の映画を撮影する為に、千葉県の館山(たてやま)に入っていた。

同地には館山航空基地があった。

だから滞在中、現地でB29の空襲も体験していた。


15日の正午、昭和天皇の「玉音(ぎょくおん)放送」を雑音だらけのラジオで聴いた。

放送自体は「なにがなにやらチンプンカンプン」だったという。

しかし、程なく敗戦を知る。


その夕暮れ。

「館山の街は騒然としていた。

耳をツン裂くような爆音を立てて、宿の屋根スレスレに飛び交う飛行機から、『徹底抗戦、われわれは死ぬまで闘う!』と書かれた、インクの匂いも生々しいガリ版刷りのビラが紙吹雪(ふぶき)のように撒(ま)かれ、宿の庭には、つい今朝までは明るい笑顔で挙手の礼も

すがすがしかった顔見知りの甲板(かんぱん)士官や将校たちが、酒気を帯び、抜き身の日本刀をかざしてなだれ込んで来た。


ランニングシャツ一枚の彼らの眼は赤く血走り、『エーイッ、ヤーァッ!』と鋭い叫び声をあげながら、庭の木々をめった打ちに斬りまくった。


(略)『明日からどうなるのだろう…』考えても仕方のないことを、私はうつらうつらしながら考え、いつか眠っていた。

再びキィーッ!という飛行機の爆音に、私はビックリして飛び起きた。

時計は12時をまわっていた。


飛行機の轟音(ごうおん)はあとからあとから、宿の真上をひっきりなしに通りすぎて、海の彼方に消えていった。


『戦争は終わったというのに…なんのために…』私の脳裡に、夕方、吹雪のように空から降ってきたビラの文句が思い浮かんだ。

『徹底抗戦、われわれは死ぬまで闘う!』闘うことのみ教育され、闘って死ぬことだけをたたき込まれて突然、闘う相手を失った彼らのやり場のない絶望感は、『自爆』によってしめくくりをするよりほかになかったのか。


飛行機の腹に何本の爆弾を抱えて飛び立ったかしらないけれど、零戦に積まれる燃料の量はしれている。

果てしなく続く暗い海の上を飛び続けて、いつかガソリンの最後の一滴が切れたとき、そこが彼らの墓場になるのだ。

私はいても立ってもいられない気持ちだった。


『戦争は終わったのに…』屋根の上を通りすぎてゆく爆音を聞きながら、私はただ呆然(ぼうぜん)と、蚊帳(かや)の中で膝を揃えて座っていた」(『私の渡世日記 上』昭和51年)


うら若き女優が夜、蚊帳の中で不安と悲しみを抱えつつ、粛然といずまいを正しいる宿の上を、もはや敵を喪った戦闘機が爆音を轟(とどろ)かせながら、ひっきりなしに海の彼方へと飛び去って行く。

そんな「8月15日」の光景もあったのだ(深夜の12時を回っていたなら厳密には16日だが)。


あの戦争が、あの時点で、あのような形で、概(おおむ)ね“静かに”終結を迎えたのは、現代の日本人がしばしば錯覚しているのとは違って、実に至難なことだった。

その事実を忘れてはいけない。


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