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  • 執筆者の写真高森明勅

新型コロナと新型コロナ“恐怖症”


新型コロナと新型コロナ“恐怖症”

新型コロナと新型コロナ“恐怖症”


新型コロナウィルス感染症。


わが国において、その“直接の”被害はどの程度か。

それは、概ねこれまでの死者と重症者の数によって、客観的に把握できるはずだ。

これを、普通のインフルエンザなどの場合と比べて、どう判断するか。


一方、一斉休校や緊急事態宣言の発出、休業要請など、新型コロナに対応して行政当局が採った一連の措置は、適時適切なものだったかどうか。

又、それらを取り上げたメディアの扱い方は、どう評価されるべきか。

更に、国民自身の対応について、自戒も込めて振り返る必要があるだろう。


新型コロナそのものよりも、むしろそれへの“恐怖症”による被害を、経済その他各方面で拡大させた要素は、無かったのかどうか。

今後の教訓の為に、そちらの被害の大きさも、“目を反らさずに”しっかりと見定めておかねばならない。


政府は先日、これまでの対応を事実上、主導して来た「専門家会議」(新型コロナウィルス感染症対策専門家会議)の廃止を決めた。

又、対応の方向性として「感染防止対策と社会経済活動の両立」を唱え始めている。

東京都も、休業要請などを行う際の数値基準を、“取り止める”方針らしい。政府も東京都も、大きな方向転換を図ろうとしているように見える。

ならば、ここまでのやり方が基本的に正しかったのかどうか、厳格に検証しておかねばならない。


7月のゴー宣道場では、専門家の木村もりよ氏をゲストに招き、その辺りも含め、今の局面で取り上げるべき重要な論点について、幅広く闊達(かったつ)な討議を行いたい。

私個人としては、これまでで恐らく最も不案内なテーマなので、ゲストや各師範から、謙虚に学びたい。


応募の締め切りは7月1日。

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