
信条倫理と責任倫理
マックス・ウェーバーが、政治における「倫理」について、2つの対抗的な範疇を提起したことは、よく知られているだろう。
すなわち「信条(心情)倫理」と「責任倫理」だ。
前者は、たとえ現実の政治の場では敗北しても、屈することなく“理念”を貫くことを求める。
後者は、あくまでも実際上の“結果”に責任を負うことを求める。
ややもすると、ウェーバーはもっぱら後者を賞揚した、と受け取られがちだ。
確かに信条倫理は、現実逃避と空虚な自己満足に限りなく近づく場合がある。
又、少なくとも政治家は、評論家と違い一定の権力が与えられている以上、現実的な成果に繋がる行動が期待されて当然だろう。
しかし、以下のような評価がある。
「ウェーバーは信条倫理にも責任倫理にも同格の地位を付与し、少なくとも政治理論的なレベルでは信条倫理を一方的に破棄することはなかった。
…たとえ目の前の政治闘争では敗北しても、あるひとの信条倫理的な言行がその敗北に無力にも涙することしかできなかった誰かの記憶のなかで燻(くすぶ)り、なんらかの仕方で別の誰かに引き取られることがある」(野田雅弘氏)。
ここで私は、唐突ながら幕末に生きた吉田松陰を思い起こす。
彼の場合は、まさに信条倫理に貫かれた生涯だった、と言えよう。
松陰自身の言葉に「僕は忠義をするつもり、諸友は功業をなすつもり」とある。
この場合の「忠義」と「信条倫理」、「功業」と「責任倫理」には、それぞれ相通じるものがあろう。
しからば、松陰の努力は(現実の場面で)全く無効だったか。
徳富蘇峰(とくとみ・そほう)の評言に耳を傾けるべきだろう。
「彼は多くの企謀を有し、一(いつ)の成功あらざりき。
彼の歴史は蹉跌(さてつ)の歴史なり。
彼の一代は失敗の一代なり。
然(しか)りといえども彼は維新革命における、一箇(いっこ)の革命的急先鋒なり。
もし維新革命にして伝うべくんば、彼もまた伝えざるべからず。
彼はあたかも難産したる母の如(ごと)し。
自(みず)から死せりといえども、その赤児は成育せり、長大となれり。
彼れ豈(あ)に伝うべからざらんや」と。
一般論としては、信条倫理と責任倫理のいずれに力点を置くべきかは、人それぞれの立場や資質、又、客観的な情勢や局面などに応じて、千差万別だろう。
しかし、そのどちらであっても、その倫理に“徹する”時は、それ相応の「何か」を、必ず現実の世界にもたらすのではあるまいか。