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  • 執筆者の写真高森明勅

貴賤を論ずるな


貴賤を論ずるな

貴賤を論ずるな

   

継体天皇の即位を巡って、日本書紀は印象的なエピソードを伝えている。


朝廷の馬の飼育や管理に携わっていた、河内馬飼首荒籠(かわちの・うまかいのおびと・あらこ)の活躍だ。身分は至って低い。しかし、継体天皇の即位に当たり、決定的な役割を果たした。その功績を、当人の身分の低さに拘(こだわ)らず、特筆大書したのだ。


この一点からも、日本書紀編者の見識の高さを窺うことが出来よう(日本書紀には、このような人物が何人か、わざわざ取り上げられている)。


北陸の三国(みくに、今の福井県)におられた継体天皇(男大迹〔おおど〕王)は、朝廷から即位を要請されながら、その真意を疑い、要請に従うのをしばらく躊躇(ためら)っておられた。


そこで、かねて継体天皇から信頼を得ていた荒籠が使者を派遣し、実情を伝えさせた。その結果、疑念は解消し、恙(つつが)無く継体天皇の即位が実現した、という経緯だった。


その際、荒籠は「密かに」使者を派遣した、と日本書紀には書かれていた。

この記述に注意する必要がある。


恐らく荒籠の行為は、当時の身分感覚や朝廷の仕組みからして、“出過ぎた”振る舞いだった可能性がある。だからこそ、“人に知られないように”事を運んだに違いない。それは荒籠にとって、リスクを伴う行動だったはずだ。


しかし、継体天皇ご本人の為にも、朝廷全体の為にも、事態を黙って見過ごすことは出来なかった。たとえ自分に、不利益や危害が及ぶ可能性があっても、「公(おおやけ)」の為には行動に踏み切らざるを得なかったのだろう。ここに荒籠の気高い公共心を見ることが出来る。


即位後、継体天皇は荒籠に対し、次のようにお褒めになった、と日本書紀は伝えている。


「世(よのひと)云(い)はく、『貴賤(とうとくいやしき)を論(あげつら)ふこと勿(なか)れ。但(ただ)其(そ)の心をのみ重(おも)みすべし』といふは、蓋(けだ)し荒籠を謂(い)ふか」(世の人が『身分の貴賤を論ずるな。ただその心が誠実であるかどうかだけを重んじよ』と言うのは、思うに荒籠のような者のことを言うのだろう)と。


天皇から戴く、殆ど最高のお褒めのお言葉だろう。

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